2014年4月16日(八段語録2031)

今何を守るのか

 この年齢になって、背負っていくものが大きくなったと実感するのです。つまり、守るものが多いのです。第一に、対外的には、地域社会環境を守ろうとする公的精神が芽生えています。ありがたいことに、保護司を初め、県においての覚醒剤防止指導員、少年警察指導員、市において消防団を初め、様々な活動しながらこの環境を守ろうとするのが、私の社会貢献としての在り方です。第二に、極真会館宮城県本部を初め、自分の家庭を守ろうとしますし、さらには、夫婦生活を大切に守ろうとするのです。第三に、自分の愛する息子・娘を守ろうとしますし、後々孫を守ろうともするでしょう。これが、私の三大擁護圏に対する役割であると感じているのです。

 さて、私は、あらゆることが、根本的に破綻しないように心を使っているのです。このプログラムがあるからゆえに、生き甲斐になっていることは間違いないことなのです。私の場合、純粋な気持ちが続くのです。人に裏切られたこともありますが、それ以上に、本質的な愛情を注いて人生を歩もうとする覚悟ができているわけです。何かの問題が生じるならば、悲痛で身もだえするのが目に見えているのです。光明の天地が暗黒の地獄へと落ちるのを防ぐ日々であるわけです。そこで、心身を鍛えて取り組んでいるというのが日々の生活になっているのです。

 ところで、飛び込んでくる事件事故のニュースを観ると、失った時の引き裂かれた悲惨さと悔しさと憤りと悲しさは、どれほど大きいものかを感じてしまうのです。だから、何にも取り替えることができない、この三つの要素を守り抜くという決意は、並大抵でないと感じるわけです。交通事故一つ起こしただけでも、不幸が忍び寄ってくるのです。それだけに、一つの愛情の基準を立てて、この基地を守っていくという事に全精力を投入していくのです。それゆえ、日々の生活を成熟させ、均等を保った上で縦横が結合する一つの軸を形成しようとするわけです。そのようにして一つの基準を作り、日々測定しながらの歩みという事なのです。

 総じて、私よりも、地域が、極真や家族が、そして子供達が自分よりも優ることを願います。そうするのが、私の生き甲斐にもなるのです。この気持ちから離れてしまったならば、無価値な人生を過ごすことになるとは目に見えています。それは悲惨な人生の始まりのように思うのです。何度も心に留めておくことは、敗者の仮面をかぶって苦痛とため息と絶望の中であえいで、生命を断つような人生は生きたくないという事です。そのような人生はどれほど胸が詰まるような思いになるでしょうか。私の三つの要素を守り抜く戦いは、あらゆる体験の中で、喜びを感じるのです。それが人生の中で、どんな生活の内容であっても忘れることができないのです。歳月が過ぎれば過ぎるほど、その幅と広さが大きくなって、尊敬される対象になると思っているのです。これが無限な幸福を味わう原点であると持っているわけです。これを連続的につなげる人生にしたいものです。