2014年4月14日(八段語録2029)

喜びと愛

 夫婦は一体であるので、どちらが偉いかと競争したって、一人だけなら喜びや楽しいことなど何も得ることができないというのが本当の事です。例えば、国会議員であれ、裁判官であるからと言って、あらゆる権力を持ったとしても、一人では楽しみは無いものです。夫婦が会話をし、二人が一つになって、伸び、くるくると転がっているのがとても感動的です。互いに競争し合う夫婦を味わいたいでしょうか。とんでもないことです。夫婦としての出発の動機は、考えるまでもなく、永遠の愛を誓っての出発のはずだったに違いないのです。

 さて、私も妻を得て、理想を持って出発した覚えがあります。夫婦で理想実現のために今まで生きてきたと思うのです。何故、夫婦になったのかと問われるならば、妻と一緒に居たかったのです。それは、喜びであり、私の中に妻が入ってきて、いつも一緒に居るようになったのです。私も妻の中に入っていくのです。そして、私も妻も、一個体ではあるのですが、一人が、二人で存在しているのです。そして夫婦で無限の願いと無限の希望を持って喜んでいるのです。それが、私達夫婦の原点であり、いつまでも一緒に居たいという気持ちの連続なのです。

 ところで、夫婦がこの上ない愛情でお互いが結ばれたとしても、結婚した四分の一は離婚しているし、結婚していても形だけという事が多い世の中になっているのです。本来ならば、結婚して栄光と希望と篤実な愛を中心として生活すべきであるにも関わらず、続かないのです。夫婦が成長して希望を成就することによって、幸福を謳歌し、平和な家庭を作って、共に喜びたいにも関わらず、それを途中で放棄してしまうのです。実に残念な事です。我が夫婦は、そのような不幸な事にならないように、日々努力しているのです。

 その努力の仕方は様々ですが、お互いが成長し、私だったら妻の切ない心情、懇切な気持ちを理解して、希望を完結することができるように、時を待ち望んでいくようにしているのです。「妻の為に生活を支えるように外で仕事をしてくるのもよいが、家庭に帰って来て妻を見つめるのがもっと良いと」恥ずかしくもなく表現してしまう私なのです。その為に、私が、心がけていることは、妻を裏切る日があってはいけないと思うのです。妻を悲しませる一日があってはいけないと思うのです。この信念はいまだに変わらないのです。そして、私の家庭に不幸が侵入しないように、恨めしい事実や、後悔を残さないようにしているのです。そんなに恰好を付けているわけではないのですが、妻を裏切らないというのが私の信念になっているのです。