2014年4月10日(八段語録2027)

尊い夫婦

 家族が調和されてないと世間と関係が結びにくいのです。家族が強固であることで、世間との関係が自然に結ばれる気がするのです。人生を歩んでみて、私の実感ですが、家庭でも父母であり、世間に対しても父母のような気持になるものです。家族が充実してなければ、世間との関係も希薄になるという思いは、日増しに強くなっていきます。そして、家庭が充実しているがゆえに、どこでも行けるのです。そしてすべてに通じる思いになるわけです。何と不思議に、心の真ん中で暮らせるのも、このようなお蔭であると思っているのです。

 そのような意味では、我が家が神殿であり、自分にとって輝いているのです。色々な問題は、結構妻に聞くと答えが返ってきます。「このような問題を抱えているのだが、どうしたら良いのか」と聞くと、即座に返ってくるのです。大概の答えは、私の気持ちと一緒なのですが、答えを確認することができ、自分の気持ちも納得することができるのです。私の心に、妻がいるように思うのも、錯覚のように思うのですが、自分の中に、夫婦が共存しているのだと思うに至っています。このような才能が生れてきたのも、家庭を営んで、三十年近く過ぎてきているからだと思うようになっています。

 このような境地に立つことができたのも、夫婦を営んできた実績であり、お金の包みや、欲の包みでは得難いものです。私の人生が純粋な青春時代を過ごしてきたゆえであり、正しい妻との運命的出会いであったのだと思うようになっているのです。そして、私自身は、あらゆる細胞機能が総動員され、一つの触覚として、アンテナのように現れた基準を中心として、家族の中で自分が住んでいるという感覚なのだと思うに至っているのです。まさに、太陽と地球のように、公転運動と自転を繰り返しているからだと思うのです。

 さらにきづくことは、私は妻に似てきているのです。そして妻の愛情の力には、私の活動のエネルギーは許諾されないものは無いと思うくらいに至っているのです。私の力の源泉は、こうして充実していると思っているのです。今の心境は、あらゆる私の仕事や能力よりも、妻と一緒に考えることに喜びを感じるのです。全てを失っても、結局は妻が、自分自身の行くべき道を、みなつないでくれるようになっているのです。この事に気が付くにも歳月がかかりました。そして今は無尽蔵に人生における調和するエネルギーが充満している気がするのです。夫婦は、心情的関係を結び続けてこそ、光を発するのだという私の結論がここにあります。