2014年4月9日(八段語録2026)

私が住む世界

 長く家庭を持って感じることは、帰納的に感じるのですが、私の中に一人の私がいて、いつの間にか、妻の影響を得て、もう一人の男性ではない女性がいるような気がするのです。そして、男女が調和して、一家の主人として存在しているのが私であると思えるようになっているのです。言い換えれば、家庭で培った全てのものが投入されて生きているのが私であると思っているのです。だからと言って、「オカマ」というわけではないのですが、夫婦の愛情を中心に成熟させてもらっている人生であるという事なのです。

 私から発するエネルギー自体は、多くの影響力を持っているのですが、作用しようとすれば、その回路があるのです。それが出来る道がなければならないのです。ちょうど、私の心臓や循環器官があるのと一緒です。そうであるから人体を行き来して作用して、生命を維持していく事ができるのです。このように私の家庭が存在するには、主体と対象の相応関係を備えるのです。もちろん、個別としては、私がいて妻がいるのですが、私自身の中に、後天的に培われた妻の性格が埋め込まれて、その性質がにじんでいるという具合なのだと感じているのです。

 ところで、私と私の家庭はというならば、たえず妻との絆を愛情という形で結んでいるわけです。私の理想的要素は、このような形で今も成長続けているという表現が良いのであり、愛の理想として結実する家庭でありたいとも思うのです。とりわけ、私が妻と出会わなければならない意義があり、妻が私と出会う運命は素晴らしいのです。妻に聞いてみなければ分からないので、そのはずだという事にしておきます。そのような事から、子供達が生まれてきたのですから、奇跡という事に他ならないのでしょう。そして、私が生きている理由を探すと、単純な事ですが、体を持って、はしゃぎまわれるという事なのです。それから、子孫を繁栄させることができるという事、更には、妻と愛情を永続させることができるという事なのです。その為にも生きているという事なのです。

 そして、この人相、形態、人格などが、地上で生きていく上で、大切な事なのだと思うようになっているのです。体をまとわなければ、人生何もできないのです。それだけに、健康には気を付けて、健康寿命を長く続けたいのです。私の人生よりも早く、人生の終焉を迎える人もおります。それは実に悲しいことです。そのような意味では、体で感じながら人生を謳歌できる術があるという事は、私にとって大切な事なのです。