2014年4月8日(八段語録2025)

臨在と権限

 神社仏閣には、確かに厳かな尊厳性はあるのですが、それ以上に人間そのものに尊厳性を見出す時代ではないかと思うのです。時代は、人間の価値を大切にする意義を見出してきました。人権運動が起こり、男女平等という時代なのです。ましてや憲法にもうたわれているように主権在民という事になっているのです。私の人生を振り返っても、自分を一生懸命磨きました。そして、いつしか伴侶に出会い、夫婦として初愛を人生に植え付けることができたのです。その夫婦としての生き様が、人生の中心になったという事は、まぎれもない事実なのです。

 いつしか、愛情が生命を見出し、血統として子供達が植え付けられたのです。夫婦で守るものができ、いつの間にか夫婦は同化して、家庭を営むようになったのです。ですから、そのような意味では、妻が尊いし、家庭が大切だという事になるのです。神社仏閣で出会う尊いお方よりも、夫婦としての完成を目指すことに価値を見出す自分がいて、不思議ではないのです。そのことにより、家庭の大切さを、更に実感して、愛情の形が家庭として固定されたことにもなるのです。そのような意味では、良き神社仏閣を参拝するよりも、良き家庭を創造する事に人生の意義を感じるのです。

 そのような意味では、神社仏閣の遠大な希望と願いは、人間の願いである理想的な家庭づくりという事になるのだと思うのです。家族の願いは、共に生きることです。私自身の臨在点が実に家庭にあるという事に何の違和感がないのです。私の人生の探し求めるものは、何といっても、天地を身代りにした一つの実体存在という事なのです。これが、人生最大の幸福の拠点であり、私の権限の根拠にもなるのです。そのような目標無くして、何ら生きる喜びは、半減してしまいますし、何か足らない人生としてまとまってしまうのです。

 今日も朝早くから起きて、一日の出発をしたのです。私と妻は、朝五時には、もう活動に入っているのです。妻に思われ、一日を出発できるという事に、この上のない喜びも感じてしまうのです。私が、今日という一日を家庭に根ざして、安定した気持ちを継続させることができるのも、妻のお蔭という事になるのです。こんなにもはっきりしていることは無いので、表現するのです。一日の時間と空間が、さらなる有意義な幸福をもたらしてくれるのです。妻も子供達も私の生き様を学んでくれているようです。

本当に、今日に至るまで、愛の分野において、妻を裏切ったことは無いのです。それが、私の権限という事でもあるのです。それだから、硬い生き方をしていると言われるのですが、幸福の原点はここにあるのだと思っているのです。信頼されながら、一生生きるという事は、どれだけ精神衛生上、清められて、この上ない充実感になるのです。そのような事を、今まで人生を生きてきて、証明しているのです。名づけて、愛の証明とでもいえるのでしょうか。家庭は、失楽園ではなく、楽園そのもののような気がします。