2014年4月3日(八段語録2023)

津波警報

 チリ地震を震源とする津波が太平洋沿岸に到達するという事です。三年前の東日本大震災のような被害が無いように祈るばかりです。今日も、一日完全燃焼しようと、より価値ある一日にしようとする矢先ですから、嫌なものです。私の一日は、持っている力をすべて投入しようとするのです。そして未来に、愛する家族のために贈り物として、何かを残そうとしているのです。もう自分自身の為に生きる人生は、終了して、理想的な存在として、家族の為に最低生きようと思うようになっているのです。これが実に、自然なのです。

 人生そのものを考えると、生きるというエネルギーそのものですから、力の投入という事になります。今日そのものを傑作の一日にしようとするのです。その為にありとあらゆる思いと精誠を投入します。すべてを投入するところから、完全に満足する一日が生れるのだと思うのです。不完全投入ですと、あまり充実した人生は望めないのです。精誠を尽くし、血肉を投入するから、愛情が芽生える一日になるのです。当然、私という存在は大きいのです。その骨の中の骨、肉の中の肉、私の思想の中の思想であり、私の全体の中の全体を投入しようとするから、一日が希望に満ち溢れるようになると思うのです。

 今日もパワーを投入しなければならないと思うのです。そうでなければ、何も生じないのです。完全な投入をすることで完全な希望が生まれ、そのような生き方でなければ、私は納得できないのです。人生を生き抜くことは、自分の本質を取り出すことです。結局は、エネルギーの投入に他ならないのです。もちろん、投入するという事は、相手に結実させるという事ですので、自分を離れているわけです。それが原則であるから、愛情というものが本質として残るわけです。

 ここで、勘違いしてはいけないと思うのですが、自分を投入して自己意識を感じるのではなく、自己意識を忘却して、より相手の目的が成し遂げられる価値を追求することによって、自分が吸収されるならば、いいという事にすべきなのです。力学的には、入力が出力より大きいのですが、しかし、自分の人生では、入力よりも出力の方が大きい方を願うのです。つまり、消耗してなくなってしまう人生ではなく、無限に投入して、消耗なく大きく成長していく事を願うのです。

 何はともあれ、朝日の中、精いっぱい今日も生きるぞという決意を固めようとしています。最初に、公的な計画を立て、そこに自分のやらなければならないことも、記入して、さっそうと出かけるのです。無駄な一日にならないためにも、完全投入です。そして、生き甲斐を感じることができるように、頑張るのみです。それが、今日の願いです。