2014年4月1日(八段語録2021)

生きる意義

 人生単純なものではないのです。自然発生的であるとか、場当たり的であるとかという事でもなさそうです。実際、感性としては、何かに導かれるという事なのかもしれません。私も、人生を、極真会館という空手界に身を置いて、あらゆる経験をしてきました。そして、その間多くの空手仲間と、道場生に囲まれて喜びを享受されてきたのです。喜びは一人では味わう事はできないのです。最高の喜びとしていつも感じてきたことは、空手仲間の輪の中にいつも存在している時でした。当然家族が中心でした。

 四月になって、やっと本来のやる気が生れてきています。三月は肉体の不調が目立った月でした。扁桃腺は切って無いのですが、喉頭が腫れ上がって、なかなか腫れが引かないのです。だから、全身はだるいし、疲れやすいし、集中力もままならないという事でした。それでも、この性格ですから、畑仕事や、自然に親しむために時間を取って課外活動をしていたのですが、気力だけで空回りしていたというのが現実だったのです。

 ところで、振り返って、人生の歩みは何であったのだろうかとふと考えるのですが、最初に書いていますが、そんなに難しいことでは無いのかもしれません。私がいて、千順さんと巡り合って、子供を生み、家族を形成してという事です。今に至るという事が、私の最大の誇りであり、主流であったと思うようになっているのです。自分の気持ちは、たえず家族を中心としてきたことであり、全世界がある理由は、この家族を箱舟として、愛情を中心として、理想をと思える人生を全うすることなのです。当然全うしてきたのです。もちろん、今六十歳ですから、人生後半期に入っているという事はいがめないのです。

 私の事を少し分析するならば、この心身から発するのは、エネルギーのかたまりなのです。発しようするエネルギーを、この体で表現して、プラスのエネルギーを人であったり、自然界であったりする対象にぶるけることによって、互いに分かち合う事ができるという状態になって、初めて存在が決定されるのだろ言うと考えるのです。つまり対象と共有することができて完全に分かち合う事ができるという事なのでしょう。