2011年8月10日(八段語録1404)

私と全国組織(74)空手道と生活基準

 今日も暑いのです。生活の姿勢を正して臨む一日でありたいと朝四時半起床で活を入れます。今日のレベルを決定するのが朝であると実感しているからなのです。今日もチラシを配布しながら、心が空手道から逸れないように、自分の姿勢が傾かないようにするのです。チラシを配り終えると、今日の出発は良かったという気持ちになるのです。そのような事で出発する理由は、今日は前進しているのか!あるいは後退しているのか!の判断基準になるからなのです。
 極真会館の指導者は、最前線に出てチラシを配布しなければ、心が休まらないという伝統を立てなければならないと思うのです。何もしないで黙っていると、なんだか憂鬱になるという気持ちにならなければおかしいのです。自然現象の中にも、高気圧になれば低気圧の所に流れていくがごとくなのです。今の道場生に対して愛情を持って見つめることも大切なのです。これを高気圧に対しての配慮と位置づけます。それ以上に未来に、入門するはずであろう道場生に対しても心を配るべきであろうと感じるのです。この点に関しては、苦労しながら入門してもらわなければならないので、低気圧としたのでした。それが、高気圧から低気圧へ吹き込まなければならないという意味なのです。これがチラシ配布の理由づけです。
 ところで、極真会館を運営していく理由は、修行という苦労をしたとしても、感謝の生活ができる強靭な精神力を身に付けることであります。今の汗と涙は、自分を強くし、最高の修業の境地に到達することであり、極真の道を究める最善の道になるという確信なのです。つまり、生涯行くべき道として決意を造成するためだったのです。それを今まで極真会館は強く主張しなかったのです。知らず知らずのうちに、悟るように示唆しただけだったのです。道場生は、修行という厳しい現実に追い込んで現実体験することによって成長していったのです。
 したがって、極真会館求めようとするのは、理想の人間像であり、会長が主張する家庭像なのです。その理想の価値を、現実の修業という僅かな時間を投入することによって、今いる生活舞台を成長させるために、高い価値観を抱いて、修行を通じて高めようと実際の生活を本物にしようとするのです。その生活そのものが極真の道と定義しているのが極真会館という事になるのです。それは間違いなく、社会の中でモデルとなる生き方であり、見本となる人物像・家庭像という事になるのです。