2014年3月12日(八段語録2019)

愛の力

 人生思いのままに生きてきたという実感をするのも、最近の事です。ですから、理想とするものは、既に全うしてきたという思いが強いのです。それで、もう少し欲を出すとするならば、愛情を中心として、これからは生きたいと思うのです。もちろん、愛情というのは、必ず対象がいなければ、存在することさえできないわけですので、もう一度、妻との関係、子供達との関係を見つめなおすという事も必要になっていると思うのです。当然、私には愛情という素性は持っているのですが、あくまでも相手を通じてのみ再現されると思うので、愛情力をしっかり身に着けたいというのが、最近の思いなのです。

 さて、私の人生の目的は一体何であったのだろうかと考えるのですが、やはり、愛情の溢れる人格を目指そうとするのです。もちろん、能力があればそれに越した事は無いし、指導力があればそれに越した事は無いし、いつも、共に遊び、共に楽しむことができる人との関係が必要であると思うのです。それが、私の理想の人生の目的であると思えたら良いと思うのです。今まで、希望を持って、未来の世界に向かって進んできたのです。子供も授かりました。家族の繁栄も、こうした努力の連続でした。そして、夫婦共に生活し理想と一致する家庭を作ってきたのも事実なのです。

 ところで、楽しみを味わわなければ、この世に生きる価値は無いのです。この目は良いものを見てきました。映画を見るのも良い刺激を受けたものです。手前味噌ですが、中学二年の時に、サウンドオブミュージックを映画館に見に行ったのですが、一日中感動してみていました。それが、私の恋愛観になっていたのです。そして、マリアのような女生徒の出会いを望んでいたのでした。この映画は、私に感動を与えてくれました。良い歌を聴き、最高の人生を映画に重ねたようでした。そのような経験から、絶対的な唯我独尊の位置に立ちながら、愛情の共有者になるべく生きようとしたのでした。

 かつて、妻に恋をした経験があるのですが、それは純粋な愛情を抱いたものです。私が、千順さんでなければならないという理由を一生懸命に理屈つけしていました。ある意味で、絶対に服従したかのようでした。もう、自分の生命を越えて動こうとし、大げさですが、愛する千順さんの為に自分の生命さえも捧げようと思ったものです。自分の全てのものを、過去、現在、未来をそっくり捧げようと思ったのでした。自分の生命までも否定できたのが、恋愛であったのでした。そうでなければ平和の家庭は築けないのです。お互いの為に生きる愛情が無くなれば、家庭など築くこともできないのです。