2011年8月9日(八段語録1403)

私と全国組織(73)全国を指導するにあたっての基本的な観点

 人材が増えるならば、人間関係が重要になってくるのです。責任者同士の関係も重要ですし、道場生同士の関係も大切になるのです。煩わしいのも人間関係ですが、ここでしっかりとして考え方を持っていかなければ、お互いぎこちない関係になることも生じるのです。この組織は、極真会館という武道団体なのです。この空手道が中心になって活動していくわけです。そこで、一人一人の居場所を東西南北に置くべきなのです。自分という存在は東に立つのか西に立つのか、いずれの方向に人は立っているのです。
 多くの人の個性が違うわけですので、人間関係の事を考えると結局のところ、個性は、東西南北の四つのパターンに大まかに分類されるのです。もう少し細かく考えてみると、東西南北を中心とした、十二ヶ月があるように、十二ヶ月には三百六十日が入るのです。そう考えると、人間関係も三百六十種類の違った人があると考えた方が妥当なのです。ここに春夏秋冬を導入しても良いであろうし、方角を検討してみるのも面白いのです。
 そのような事を頭の中に入れて、会長・アラン師範・私を検討するのです。極真会館を中心として三つのタイプが存在することになるのです。全て、中心的役割を担うべき個性は、全く異なっているのですが、それぞれに応じて、いずれの個性に全組織の人材が集約するかのように達し得る個性を持ってこれから生じてくるようになる訳なのです。この発想は、武道団体ですので、各位が在り、中心を求めて一つになろうとするのです。その中心たる個性に接して、初めて良い指導者を持ったという事になるのです。
 私たちの道場生が成長し喜んで発展に寄与してもらうためには、極真会館の神髄を求めてもらうのです。その神髄というのは善いことを求めるという事になるわけです。それは、より指導者に近づくことになり、極真の神髄を願うがゆえに、早く指導者に行く道を辿り願うのです。そのことが、道場生一人ひとりが、知らず知らずにあたかも自然現象のごとく思い且つ向かっていくようになるのです。
 このグループで気持ち良く嬉しいと感じるのは、結局のところ、手塚会長に近づくことになるのです。ちょっとでも一歩でも近づくと嬉しく感じるのであり、遠くなって離れてしまうと寂しさを感じるようになるのです。ゆえに、空手修行における喜怒哀楽のすべては、会長を中心として感じることが出来るという事にもつながるのです。そうでなければ、この組織が中心を中心として活動が始まらないのです。
 そのような意味では、修行の基準を会長と共に基盤拡大に努めていくという事もとても嬉しいという事になるのです。反対に、今のままで何の変ることもなく、修業し続けると無味乾燥な空手修行になってしまう事にもなるのです。これからの歩みは、良いことも悪いことも、会長を中心に前進したり後退したりするのが良いのです。