2014年2月19日(八段語録2010)

どんな人間でも尊いのです。

 どんな男性でも女性でも、尊いのです。「私」を大切にすべきです。ですから、いつも自分との会話は必要です。心をどんどん掘り下げていけば、そこに心の根っこにたどり着きます。そこには、生命が宿っているし、愛に満ち溢れているはずです。それゆえに、当たり前ですが、家でも感謝であり、社会に出て行っても感謝、国と世界のどこに行っても感謝なのです。どこに行っても、「私」は天地の公式通りに大切であり尊いのです。
 それだから、自分を見失わないようにすべきです。自分は見えないので、見失いがちなのです。自分は何処にいるかというと、一番近い所にいます。だから、気が付かなかったり、見えなかったりするのです。ちょうど、自分の目を見ることができないと同じような事なのです。それだから、自分が尊いという信念を身に着けなければならないのです。それが原則なのです。劣等感でさいなまされている時でも、私の観念を身に着けてください。
 今日は、何を言いたいのかというならば、極真空手の修行は、自分発見なのです。見えない自分を見える形に空手で表すのです。私も、自分を発見する時は、いつもこの手法と使うのです。空手道に投入することで、自分の心の状態を知ることができます。そして、再確認するのです。自分というのは、観念だけでは、どうしても発見できない場合があります。道場の稽古に投影することで、発見できるのです。もちろん、道場では、先輩にも出会うし、後輩にも出会います。そこで「私」を再確認するわけです。
 もちろん、生活の中でも「私」を発見できます。当然、エネルギーが必要です。自分を自分のものとしてかき抱こうとする心を持たなければならないのです。「自分のものだ」といえる立場に行こうとする行動力こそ、心は待ち望んでいるのです。空気を自分の息のように感じ、太陽を生命の要因のように思えれば、自分自身の発見につながります。すべては、自分を見つめる教本になるのです。
 仏様は教えてくれています。「天上天下、唯我独尊であり、全知全能で偏在し、私を経ないものは無い」というのです。すべて、私に偏在することなのです。私が、この世界の存在していないならば、世界は「空」なのです。私が存在していればこそ、世界はいっぱいに満ち溢れてくるのです。それだから、自分を大切に尊んでください。はっきり言うのです。私が分からなくなるときに、すべてのものが「空」になります。今日は存在意義を改めて確認するためのブログになりました。
 大切な事だから、書くのです。自分を失って、自殺に追いやられてしまう人が、三万人以上おられるのです。またやけくそになって、酒浸りになったり、覚醒剤に走ったりもするのです。このような抽象的な概念では分からないというかもしれませんが、私の発想を見習ってください。何かを掴めるはずです。これで、私も充実して生きてきました。何もなくても、益々前途は開けてくるのです。