2014年2月18日(八段語録2009)

人生の中での価値ある自分

 いつも、生活感情の中にだけ囚われていると、浮き沈みの中で、もがいているというのがクローズアップされてしまいがちですが、私の過去から現在まで存続しているという事を忘れないようにしているのです。自分の人生の内容を、先に悟り、その時に輝かせ得る時点に立とうとして、生活基盤を築いてきたというのが的確な事なのかもしれません。
 そして、人生をどのように送ってきたかを反省するのですが、それは誠実であるという事をモット―としてきたのです。今の時代、私が何を言おうとも、どう行動しようとも、言論、集会、結社の自由があるのです。どんなに極真空手に一生懸命に取り組んでも、誰からも文句を言われないのです。その為にも、誠実に歩むのです。私をこのような道に歩ませて貰ったのも、親の苦労があり、この時代の恩恵にあずかっているからであるという事を忘れてはならないと思っているのです。
 ところで、自分の身体についても、感じることがあります。医療の勉強を始めているので、余計に考えてしまうのです。空気があるのに、空気があることを普段は感じることはできませんが、息が詰まって初めて空気の有難味を感じるのです。また、脈が一分間に七十~八十回ほど打っているに、これも普段は気が付かずにいます。もし、歩く時にも、脈に歩調を合わせ、瞬きをするときも、脈に合わせて瞬きするような生活をするとしたら、神経が衰弱し、三日ももたずに倒れてしまいます。
 このように環境も自分も大切なのですが、私の人生は、最も貴重なもので、たった一つしかない最も良いものになっているのです。それで、心の深い所、心の根底、まさにそのような所に置きたい人生のように思えるのです。この独特な人間性、独特な思考、独特な感情を持って、今の時を歩んでいるという事に、限りない感謝の念が湧き上がってきます。
 それで、私の本音ですが、この貴重な人生を、心の一番中央にしまっておくのです。つまり、しっかり包んで置いているようです。また、誰かが入って来てそれを、見られるという事も好きではないようです。ふたを締めてしっかりと包み、絶対に他の人に見えないようにしているというのも本当なのかもしれません。このブログでも、私の人生の一端しか書いていないことになるかもしれないのです。つまり、この人生に対して、ダイヤモンドが問題ではないのです。無限の価値の人生、言葉で表現できないほどの人生なのです。