2014年2月15日(八段語録2006)

人体の神秘と人生

 現在、専門学校で医療の分野を勉強しています。解剖学、生理学、病理学、衛生学、一般臨床学と広範囲な内容です。だから何だと言われそうですが、この人体は、あらゆる作用の原理が重なり合って運動しているのです。力が加わり、方向性と目的が提示され存在しているわけです。そのような意味で、人は、私達が推し量ることがでないほど、偉大で素晴らしい傑作品です。その神秘を、家庭の中で感じているのが「私」かもしれないのです。
 その人という存在が、心で考え、頭で構成して、最高の人生を歩もうとしているのです。「私」はというならば、一つしかない、最高の作品に間違いないのです。それこそ一つしかない作品ですから、存在している事自体、無限にうれしく思うのです。そして、この私を、恥じらいもなく、いつも自慢していたのは、母親でした。自分の息子を、永遠の宝物のように、近所で話すのでした。とても私は恥ずかしくて、母親の傍にいることが出来なくて、逃げていたのを覚えているのです。それほど母親は、自分をどこへ行っても自慢したいと思ったのです。私が自分を思っている以上に、母親は大切にしていたのです。母親にするならば、最高傑作の息子であったようです。
 話は元に戻すのですが、私達の人体の構造は、本当に神秘なのです。学問を重ねれば重ねるほど実感してしまいます。数多くの細胞が個別的にあると同時に、相応的な関係を持ちます。相反することなく、協調して構成され、私という個人の自由解放圏内を形成しているという事実は驚くべきことなのです。膨大なる細胞で形成されている私が、運動をして、流動し、人生という道を歩まされているという事を考えれば、人生を完了させるために生き様を展開しているようです。
 ところで、人間において、最も重要な所は、顔です。顔の中でも、重要な所は目という事にしておきましょう。この目を中心に考えてみると、先祖も同じ目をしていたのです。この目が生まれた時から、太陽があることを知っていたのかという事です。いくら考えても、目は知っていたとは思えません。目は輻射熱によって水分が蒸発しかねないという事も知らなかったはずです。また、まつ毛は目に誇りが入るのを防ぐという目的がありますが、まつ毛が生じる時、空気中の中にある誇りが目の中に入ってくるほこりを防ぐためだとか知っていたわけではないでしょう。このように、目は無尽蔵な神秘の人体になっているのです。
 さらに、耳を見ると、耳は前に向いていますが、それが反対になっていたとするならば、また、無かったとすれば、前からくる音をそのまま素通りしてしまいます。遠くの話し声も聞こえないはずです。人が人と会って話すとき、向かって話をするので、耳が前を向いてついているのです。だから何だというのかというならば、耳が生じる前から、耳が今の形になっているのですから、不思議なものです。更に、耳に空気が流れて、そこに引っ掛かることで音が集まるように案っています。大きな輪があり、小さな輪があって、声をうまく調節しています。大声を聞けば、この大きな輪で音を弱め、小さな輪に入るようにしています。実に神秘的です。そのような事を、専門学校で学んでいます。実に人体は神秘の何物でもないのです。