2014年2月14日(八段語録2005)

瞑想の生活

 長い人生、瞑想の生活の末に、落ち着いて人生を過ごせるようになっていると、感じる日々です。それなりに、真実に生きることができているのではないかと思うのです。世の中の生きざまで、正しいという事をしっかり心掛けるならば、社会の課題は、議論の末、解決されることも多いのだと思うのです。自分の生き方が、一般社会人を抱擁できるものであれば、それが最適であると考えてしまいます。所詮、百年足らずで人生を終了させられる、被造物である私ですから、神仏を尊ぶという事は、当たり前なのかもしれないのです。
 さて、私達は、寒ければ寒いという事を知って感じるのではなく、寒いことを感じて知るのです。とにかく細胞で感じるのです。その境地が問題なのです。言い換えれば、人生も、客観的に何かを知って考えるのではなく、実際に経験して知る様になるのです。人生において最も問題になるのは、何であるかというならば、人生を経験もせずに、人生を嘆いて、自殺することなのです。そのような中で、親がいるのに、親不幸して、家を出ていくとしたならば、それほどの罪は無いでしょう。それが、かつて、私が両親にしてしまった、最大の悔いなのです。その償いの為に、四十歳の時に帰って来て、両親に二十年余り、親孝行しなおしたのでした。
 ところで、道場生の皆さんは、漠然と、観念的のみ親の有難味を認識してはいけないのです。私の親不孝の人生は、経験しないでと言いたいのです。本当の親の存在を実感してください。理屈で親を思うのではなく、このような環境を与えてくれている両親に本当に感謝する心を育てるのです。感謝したい時に、親がいないのでは、話にならないのです。私の生涯を見守って、命を大切に育ててくれた、存在は親しかいないのです。ありがたいことに、二年前に、父親をあの世に送ることができました。親不孝してきた私の、ありったけの人生を、両親と共に歩んだのです。今では感謝しかないのです。
 結論として、自分が生まれたいと思って生まれてきた人は誰もいないのです。両親を通して生まれたのです。あくまでも、自分自身が願って生まれたのではないのです。そして、私自身は、個人の中の一人であり、家庭の一員なのです。ですから、現在私達に結ばれたその家庭、あるいは親族を大切にすべきであり、その土台に、極真会館であったら、子弟の関係が生まれてくるのです。これから、人生を歩む中で、紆余曲折が待ち受けていると思います。そうであっても、必ず、自分の家族に相応する内容と連結されて成り立っていると確信していきましょう。手塚グループは家族が一番という原点を持っているのです。