2014年2月12日(八段語録2003)

思いつくままに

 還暦を迎えた今でも、空手道の修行は身についているようです。和尚でしたら、寺で経を唱えるとか、シスターでしたら、静かに祈りを捧げるという事でしょうが、私の場合、毎日の習慣は、空手の稽古をしているという事なのです。修行のやり方はさまざまでしょうが、突きと蹴りそして、腹筋・スクワット・腕立てという順にこなして、二時間程すると、乳酸が身体に回って、疲労が極致に至るというところで、止めるというプログラムなのです。これを、一応毎日実践することにしているのですが、現実には、三日の路程で一日休むというペースなのです。
 現役選手ではないので、試合に出るという事ではなく、自己管理がメインになるのです。そのようにしながら、一日のスケジュールをこなして、横道にそれないという事を意識します。結構真面目に取り組んでいるのです。酒やたばこの嗜好品を好むという事は、無いのです。妻とテレビで映画鑑賞をしながら、二人で何か話しているというのが、時間の使い方としては、ゆったりしているのかもしれません。妻を恋しがり、子供達の将来を思いやり、極真会館の手の回らないところを、サポートし、国や県そして市の役職をこなしながら、結構充実しているのです。
 今の心境は、挑戦してくるような人がいたならば、すぐに、避けていなくなるという作戦のようです。他の人との競争という概念は、ちょっと薄くなってしまいました。年齢を重ねるという事は、親になるという事なのかもしれません。包容するようにして、その人の未来を見つめてあげるという心境なのだと思います。そのような気持ちの背景は、若かりし頃、やるべきことは、一心不乱にやり通したという自負の念があるのかもしれないのです。とにかく、若き日は、無茶をしました。昔の友人には、「この年齢までよく生きている」と感嘆の声を掛けられてしまいます。
 一回転して還暦を過ぎましたからには、今までと違った余裕のある日々を歩みたいという気持ちになります。しかし、私の恩師は、最前線の軍曹のような勢いで、切り込んでいるのです。もう七十歳に至ろうというのですが、全く衰えを知らないのです。この恩師に影響を受けた、私でしたが、恩師は切り込み隊長であり、私は、人との調和を重んじているようです。違った性格に対しても、微笑ましい気持ちが、生まれてくるのは、何故なのか分からないのです。理由は、人を批判しない性格は、天性であり、他の人には、真似できない天分であると思うのです。今の私を十二分にコントロールするならば、結果はついて来ると思っているのです。