2014年2月8日(八段語録1998)

指導者に告ぐ


 結構、原町地区では、極真会館を長く続けているという事で、尾ひれもついて伝説になっています。その為、「社明宮城野」などの原稿依頼が来たりしています。この町に良い影響を与えてくれる人という事になっています。私は、根白石の農場に行けば、農夫に成りきって畑と田圃を耕します。海に行けば、釣り人の域を超えて、漁師のように魚を釣り上げようとします。もちろん、学生にもなるし、空手の指導者にもなります。私のできないことは何もないと思っているのです。空手のチラシを蒔くときは、自分の天職であるように、毎日一生懸命配っています。こういった事をすべてやらずして、自分の目的が何であるか知ることができないと思っているのです。
 ところで、文化というものは他の文化と混じり合っています。そして、そのような中からすべての人々を向上させるような良いものが出てくるのです。最初はわずかな人達だけが集まるだけです。それはちょうど、様々な山から水滴が集まってくるようなものです。一滴の水が山奥から出発し、山腹を滑り落ちて他の水と合流し小川となり、やがて大河となり、ついには意味へと入っていきます。そのように世界中を駆け巡るのが文化というものです。極真空手は、現代の武道文化であると思うのです。そして、影響を与えることは多大であると思っています。極真空手も川をなし、海へと流れて行って、常に人間の水準を高めようとしているのです。
 極真空手で指導者になるためには、どのぐらいかかると思いますか。三年ですか、十年ですか。私の場合は、すでに、四十年をはるかに越えてしまったのです。そして、まだ、指導者としての競争を終えていません。そして、今の気持ちは、愛情で人々をカバーしようとしているのです。記録を作るようになろうとしています。ブログも今回が1999回です。これも、誰からも期待されるもではないかもしれませんが、自分自身の気持ちの中では、千載一遇の機会であると思っているのです。このようにするには、見えない網で包みたいと思っているのです。そして、私はただ網を引っ張るだけにしたいのです。そうすることによって、多くの若者が成長すると思っているのです。