2014年2月7日(八段語録1997)
指導者に告ぐ
最近、宮城野区を中心にチラシを蒔いています。組織のトップが良くそのような事をやっていると言われそうですが、住宅街を歩いていく事はそんなに嫌いではないのです。色々な人の生活が見えてきますし、多くの人の接することもできます。自分のしていることが何であれ、決して恥ずかしいと思いません。自分の子供達とも一緒に今でも、チラシを蒔いたりしているのです。このような事をして何になるのかと尋ねられたりするのですが、もちろん、新しく道場生を獲得することができます。そして、その時には、多くの材料を集めているのです。朝に無限な心の栄養素ともいうべく、資源が隠れているのです。
そして、何よりも、そのことによって、将来、世界の為に貢献するであろうという若者を見つけることができるという事です。極真会館の発展のために、私としては、何かを犠牲にしなければならないと思っています。それは、極真の発展の為の妨げにはならないのです。ところで、私は、青少年教育の第一人者になりたいと思っているのです。困難を克服できる人が、社会に役立つと信じているのです。その精神は、空手道を通じて、勝ち取ることができると、確信もしています。それは、稽古によって、困難な嵐によって試練を受け、鍛えられて勝利者になる道なのです。例えば、不確かな運命が自分たちの先に横たわっており、生命の保証もない事であっても、新世界を目指すような覚悟で、克服していくならば道は開けてくるという事です。そのような人材が集まることを目指しているのです。
話は変わるのですが、美の特徴の中には、ブロンドの髪の毛と青い目と白い歯の組み合わせのようなコントラストが含まれています。しかし、それを何時でも見ているとするならば、その美は退屈になってきます。しかし、そのような美の中に、黒い「ほくろ」を発見した時には、すべての注意を引き付けます。そして、その人が活発に動いて、空手の稽古でもするようでしたら、益々心を興奮させ、ドラマチックなものに、見えます。
何を言いたいかというならば、極真会館は多くの議論を巻き起こしてきました。全日本では、負傷者が続出するするであろうと、有名な新聞も掻き立てていました。それは、ちょうど、美の特徴の中に、黒い「ほくろ」が現れたようなものです。そして、それが人々の注目を浴びたのです。当然、極真会館を歓迎しない伝統空手団体はいくつもありました。それにもまして、退屈していた空手団体に多彩な刺激を与えたという事と、社会に対しては、劇的な光景に映ったのでした。
指導者の皆さんは、そのように多くの注目をひいてきた極真会館の指導者なのです。このように大いなる興奮と活動がある団体に存在しているのです。さらに、指導者の皆さんは、暗い世界に光を与える灯台であるという確信を持たなければならないのです。灯台はどのような天候の時でも光を放ちます。なぜならば、悪天候の時こそ、船が最も灯台を必要とするのです。厚い霧に包まれている時こそ、益々光を放たなければならないのです。逆境であればあるほど、その光はより偉大でなければならないのです。そのような事を思い浮かべながらブログを書いています。