2014年2月7日(八段語録1996)

指導者に告ぐ


 極真空手を通じて、私達の手によって教育されることを待ち望んでいる広大な人材の宝庫が横たわっているのです。しかし、現代の社会情勢は、若者が武道を通して一生懸命に稽古をしていく事を好まないようです。楽な道へと流れてしまうのです。それよりもなによりも、心身共に健康な極真の有段者と結婚したならば、誇りに思うような女性が多くいなくてはならないとおもうのですが。私は、極真空手によって崇高な者となるかという事を経験してきました。なぜならば、稽古を続けていくという事は、自分以外の力が湧き出るようにならなければ、不可能なのです。我ならぬ力が、新たな自分を創造するのです。
 私の場合、稽古をしているときは、自分の家族の範疇にいることを自覚するのです。普通に生活しているよりは、稽古をしている方が、妻や子供達と近いのです。それはなぜかというならば、純粋になれることが、一番ですが、心が真剣だからなのです。私が激しく稽古をして家に戻った時には、妻の態度は自然に違ったように感じるのです。そのような日々を過ごしているうちに、稽古は鉄のような意志を作り、何物にも妨げられない決意を持った人間に成長させられていったように思うのです。
 私は、説教するばかりでなく、やろうとするならば、どんなことでも誰より以上に実践してしまいます。ただ理論ばかりではなく、経験からしか得られることができない知識があるからです。そんな日々を送っていく中で、充実した人生を歩めるのです。極真空手はあらゆる恩恵を与えてくれたと思っています。ともすれば、純粋な心が、世俗の裏切りや、様々な人間関係の中で、傷つき、曲がった心が目についてしまいがちなのですが、今でも、純粋な心持って人生を過ごせているという事を思うと、本当に良いものに出会ったという実感をするのです。
 それだけに、人生を通じて、まぎれもない、心の鍛錬の磨ぎ石でもある、極真空手道を通して、多くの青少年を育てることができるという確信を持っているのです。それだけに、青少年を、素材を生かしたまま、豊かな人間性を持った純粋な人材と育てていく事ができるのだと確信するのです。流れていく人生ですが、極真の武具を身に纏って、精神修行をしていくならば、社会に役立つ人材へと育っていく事は間違いないと思っています。そのような事を考えながら、人材教育に力を注いてほしいという気持ちを抱いているのです。
 私が、トップにいるという事で、指導者の皆さんに、委縮してほしくないのです。伸び伸びと、極真空手道で身に着けた精神を、思う存分に若い人たちに継承していく事を願うばかりです。もちろん、何か壁にぶつかったならば、聞きに来てくだされば、いつでも、話し合っていきたいものだと思っています。