2014年2月6日(八段語録1994)

指導者に告ぐ


 私達が何かに取り組もうと、それが仕事であったり、主婦であったり、空手の指導であったり、それを義務感からするのでは、もったいないのです。指導者の皆さんが何であれ、指導者自身の生活の一部であるという事を理解しなければならないのです。指導者としては、自分のしていることを見て、そしてそれが誇らしく思い「それは私のものだ」という事が出来なければならないのです。実践していることを生活の一部に取り組まなければならないという事です。自分の生活は、自分が責任者であるという自覚は、絶対に必要なのです。
 極真会館を中心として言うならば、確かに創設したのは、大山総裁ですが、極真会館に携わる分野や立場は、自分で責任を取るべきものなのです。なぜならば、極真空手は、自分自身のものだからなのです。極真空手の修行を極めようとするときには、推進力が必要です。そして、前進するためには、純粋な意欲が原動力にならなければならないのです。この気持ちを持って、歩むならば、歩んだ業績は永遠に価値あるものとなるのです。歩んだ事実は、多くの道場生に語り継げられていくのです。もし、指導者の皆さんの中で、レベルが余りにも低すぎるとしたならば、今こそもう一度考え直すべきです。
 指導者の皆さんが、黒帯を締めるようになるまでは、大変な努力が必要になってくるのです。極真会館では、黒帯に対しては、相当な敬意が払われます。極真の黒帯を取っている人に対しては、誰でも褒め称えてくれるのです。しかし、指導者の皆さんがそれまでにどれだけの苦労と困難を通過したかという事については、誰も理解しないでしょう。もう一度強調しますが、何年もかかって、取得しても、その苦労は誰にも理解されるものでは無いのです。ましてや、私についてきて、有段者になっている人は、もっと困難を極めたに相違ないのです。
 仙台にUターンしてからの二十年間、先輩たちが成し遂げなかった事を実践してきました。その背後にいかに多くの困難や苦痛があったかという事を誰も理解することは無いのです。当時は、すべて私一人で通過してきたことなのです。誰が、実家に帰って、このような事をするという事は、誰も歓迎するものではなかったのです。目標を達成するために、一生懸命働き、努力の実りだけを刈り取ることを願ったのです。どうあれ、初めから立ち上げるという事は、生涯の勝負に出るという事なのです。必ず、人生で勝負しなければならない時が来るのです。その時まで、しっかり忍耐して備えることが必要であると思うのです。