2014年2月5日(八段語録1992)

指導者に告ぐ


 そもそも、どうして極真会館の門を叩いたのでしょう。当然、ここに来たのは、何かを求めてきたという事になります。私も、この極真会館に対するビジョンを持っています。それは、入門しようとしている道場生とは、ちょっと違うかもしれませんが、言えることは、道場生の皆さんが興味を持ったからに他ならないのです。そして極真空手を始めたころは、思いは燃えるような熱意に満たされ、道場に毎日でも来たいという欲望で満たされていたに違いないと思うのです。
 そして、何か月、何年か過ぎて、極真空手というものを経験して、私のブログなどを読みながら、冷たい心に冷めていったのでしょうか。もし、道場生が冷めた心を持つようになったとしたならば、どこか間違っているのです。しかしながら、指導者の皆さんは、何か道場生の心を磁石のように引き付けていくような内容を持っていると思います。当然そのような気持ちを感じるべきです。多分、指導者の努力で道場生が「私は極真空手を味わって、もう十分感動している。」と言わしめるようになっていると思うのです。
 ところが、道場生で入門当時の初期の時は、時々考えを変えるのです。生涯、極真空手を歩んでいこうと思っていても、ちょっとした試練でくじけてしまうものです。そのような道場生はただ、時間とエネルギーを無駄にしているのです。そのような道場生になると、どこにも到達しない行進をしているだけになってしまうのです。しかしながら、極真空手は、道を求める求道者にとっても謎であり、神秘なものです。極真空手は、ただ座って何もしないで頭をうなだれ眠っているだけで、達成できるものでは無いのです。
 極真空手で修業して、有段者にでもなりさえするならば、誇り高い人間として育っていきます。そして、世界に対しても誇りを持っているのです。極めて深刻に受け止めているのです。そして、自分自身の能力を駆使して、極真空手道の教育に、己の修行も含めて、立ちあがっていくのです。多くの人たちが、「ああ、極真会館、それは単なる一つの団体にすぎない。それはちっぽけだ。」と考え続ける人がいるとするならば、決して、私達の活動の本位ではないのです。私達に敵対するものがいかに強大であろうとも、私達は決して打ち負かされることは無いのです。
 この点をはっきり分からなければならないのです。私達は何処に立っているのか。今までとこへ行こうとしているのか。私達指導者は強い立場を取らなければならないのです。このような姿勢を持って前進していくのです。これが私達指導者の知るべき最も大切な事なのです。