2014年2月4日(八段語録1990)
指導者に告ぐ
極真空手の道を歩む前に、私が目指している究極の目標は、最も近く、最も価値あるものだと思うのです。多くの人は、このようなものを至る所で見つけようと探していますが、あまりにも遠くを見すぎているのです。多くの人は、自分自身をはるかに越えたところを見ているようです。私にとって、近くて価値あるものは何かという事になりますが、それは、「家族」という事なのです。そして、その「家族」に、燃え上がることができるように火をつけているのです。
ところで、「家族」という起源は、どのようにして始まったのかというところに行きつくのですが、それは、親子や兄弟姉妹という事になるのです。ブッタの教えや、孔子・孟子の教えにある概念を受け継ぐことによって、家族の根本的な関係を学んでいるのです。その教えによって、「家族」に火をつけようとするのです。家族の根本的な関係は、男女です。男と女の両方を意味します。考えてみれば、最もダイナミックな関係は男女の間に起こるようです。そこに「家族」の必要を満たす、基本的でもっとも本質的な関係をあるのです。
さて、子供達に対する私の位置は何かというならば、教師以上でなければならないし、主人と僕という事でもなさそうだし、どのような概念で示しているかというならば、親という事なのです。親という事のみが、あらゆる種類の愛情を十二分に結びつけることができるのです。「家族」という概念にぴったりとした表現に到達するわけです。このような表現が、人類に与えてくれた中心点であり、焦点なのだと思うのです。私が、「家族」を形成し、この親という目標に向かって人生を歩もうとするときに、私は何であり、何に向かて、どこへ行くかという事が分かるようになるのだと思うのです。
それゆえ、今の私は、三周忌を終えたばかりの父親が恋しいのです。親父を思うと、小さなときから、今までの事が走馬灯のように浮かび上がってきます。少し目を閉じて、過去を振り返ると、親父が共にいるのです。もちろん、母親は、今も私と共にいるのですが、その愛情に満ちた人生であるのです。今更ながら、親の愛情が降り注いでいたという事を実感するのです。そんな最も近くで価値ある出会いを絶えずしていたのだという事を、振り返ってしまうのです。そして、今、自分にできることは、親として子供達に愛情を注ぐことなのです。それが、一番感動することなのです。それが、「家族」に火をつけるという事なのだと思うのです。