2014年1月30日(八段語録1982)

指導者に告ぐ


 この年齢になると、道場生の若さが輝き眩しく、私の瞳に目立ちます。道場生の顔は、まさに花に例えることができます。それも春咲く花のようです。素晴らしい顔をしているようです。そして、この文章を書いている私はというならば、一人の老人なのです。道場生は生命力溢れる若者なのです。私の人生はもう、ある程度博物館の中に入っているようなものです。それだから、楽しいことについても話をすることができるし、惨めな事についても話すことができます。また、興奮するような話や、一生懸命働くことについても話をすることができるのです。年の功とはこのような事なのかもしれないのです。
 それゆえに、法務省の保護司として、刑務所や少年院・鑑別所を出所した人のカウンセリングもできるのです。刑務所の中にいて、誰にも理解されない内容を、すべて聞き入れていくのです。そして、社会復帰へと導いていくのです。そのような年齢になったのだと今更ながら感じ入るのです。もう十三年以上も、この役割に携わってきているのです。全てを反省して、今後の人生を、罪悪部分を初期化して、新たな人生へと出発してもらうのです。最低のレベルから最高のレベルへと引き上げる決意を持って、カウンセリングをするのです。
 対象者の中に、このような人もいました。中学しか出ていないやくざの夫の妻で、罪を犯したこの女性を担当した同僚の保護司が取り組んだことなのです。その女性を立ち直らせ、社会復帰してからの、その女性の努力は並の努力ではなく、六法全書を全部暗記して、司法試験に合格し、弁護士になったのです。そして、地方自治体と協力しながら、社会に貢献しているのです。有名になった人なので、誰かというとすぐに分かってしまいます。一例を示して、そのように、罪を犯した人にも、私が、多大な影響力を与えるためにも、人格を高め、人として徳のある生活をしようとするのです。
 私の場合、運営的判断とか、政治的判断はしないのです。あくまでも、明日を夢見て、希望へ向かっていく判断をするのです。それだから、極真会館で武道教育していく自分の姿は、まさに天職なのです。道場生の若々しい姿を見るだけで、その価値が天地に勝ると思うのです。そうだから、どのようにサポートして、これからの新たなる道場生を迎えていくかという事だけを考えていくのです。
 そのような事で、私の魂が清められ、高められていくようなのです。だから、あらゆる意見を聞いて、対応できるようになってきているのだと思うのです。その理由は何かというならば、道場生の価値は、この宇宙よりも重いと思えるからなのです。そして、この老人が、文章で表現できるのも、信頼関係を共に構築できているからなのだと思うのです。