2014年1月28日(八段語録1980)

指導者に告ぐ


 今年の初めの鏡開きでも、初めて会うような人も増えてきました。白帯の初々しい、今にも泣き出しそうな道場生です。まだ、極真空手の経験が少ない道場生であることは、一目瞭然にわかります。見るからに若すぎるのです。これからの道場での修練に不安をいだいているように見えます。これからのあらゆる教育と訓練でたくさんの事を学ぶであろうと思うのです。新春の稽古は、これからの稽古に比べたならば、取るに足らないものです。それは、これからの現実の稽古に比べたならば、塵のようなものだという事です。
 さて、様々な稽古を通過して、最も本質に至るものは、特に組手の稽古という事にもなります。組手は非常に難しい稽古です。基本稽古の総集編という事になります。道場生の組手が上手になるころには、胸が広くなり、身体に締まりが見られ、ちょうど魚雷でもあるかのように、しっかりした体型になっていくのです。実際、試合で多くの危険や困難を経験して、それでも稽古を続けてきたことになります。その意味では、組手を経験すればするほど頭が良くなるのです。四肢五体に磨きがかけられ、すべての経験に対しても、注意深く判断することができるようになるのです。
 ところで、組手の能力が開花すると、どのような大会に出場しても勝てるようになるのです。それは、道場生自身の人生を意義あるものにするのです。組手で勝利の味わいを多くするようになると、多くの賜物が準備され、充実した日々を送ることになるのです。ちょっと、他の人に比べても、気分はハンサムな王子と美しい女王という感覚です。そのような意味では、道場生本人が持つ感覚は、どんなにかハンサムに感じられ、美しく感じられることでしょう。そのぐらい、組手が上手になるという事は、感激をもたらすのです。
 そのような事を含めて、組手には関心を持った方が良いのです。私自身が組手を始めたのは、二十代の初めでした。ものすごく、組手に関して関心を持っていました。もう四十年の歳月が流れていることにびっくりします。還暦を迎えた今、このような人間性と人格を身に着けるという事は夢にも思わなかったことです。どのような生活をすれば良いか、自分の極真空手人生に自信を誰よりも強く持つようになってきました。そのような意味で、重要な組手の練習をしっかりマスターさせるのも、指導者の役割であると思うのです。