2014年1月26日(八段語録1978)

指導者に告ぐ


 私が仙台に帰って来て、もう二十三年になろうとしています。人生の半ばで、両親の願いで、Uターンしたのですから、どのような事になるのかと、不安に思った時期はありました。今振り返ると、成功したのかもしれません。それも、過去のすべての役職を投げ出してきたのですから、全く、無謀な事だったのです。ある意味で、故郷に帰るまでの人生を、訓練の人生として、割り切って、私の本当の意味での人生は、故郷での歩みであると言い聞かせたのでした。仙台は私の故郷そのものという取り組みだったのです。
 そこで、考え続けたのは、慣れ親しんだ故郷で、どのように一生懸命働くことができるかという事でした。一生懸命に働かなければ、多くの収穫を得ることはできないという、事を肌身で感じていました。つまり、今まで歩んできた内容をベースに、社会に役立つことができる道を見出したいと本気で思ったわけです。そこで、もう一度地域の事を学ぼうとして、東北経済論を初め、地元に立脚した、知識を身に着けようと更に磨きをかけようとしたのでした。そのような、努力を重ねたので、地域に必要な人になる道を開拓できたのかもしれないのです。
 ところで、故郷に帰って、始めたことは、学問の他に、底辺から、人に仕えることでした。選んだのは、国見スイミングクラブでした。私の若き日の事を思い出すように、多くの若者を先輩として学びました。学ぶ理由は、多くの若者の姿を、生で学びたかったのです。それは、今となっては、勝利の保証だったのです。そこで、学んだことを端的に表現するならば、一つの法則規則のようなものでした。
 例えば、指導者の皆さんが、人間の体を見るならば、硬い骨と、柔らかい肉の両方があることが、容易に理解することができると思います。ある意味で、それは硬いものと、柔らかいもの、強いものと弱い者との関係なのです。多くの人に見受けられるのですが、強い性格を持てば、体は意外と弱い人が多いのです。他方、体が強ければ、それほど性格は強くなく、おとなしいか、優しいかの性格なのです。そのような分析ができるようになったのも、当時のスイミングクラブでの若者の研究でした。それ以外にも、道場で、若者を見ながら観察したから他ならないのです。
 そのような意味では、自ら望んで、下から目線で、取り組んだ結果、今の私があるという事なのです。私が何の苦労もなく、そのまま大都市で生活していたら気が付かなかったことが余りにも多いのです。人生をリセットできたことで、今でも新鮮に生きることができるし、指導能力も深みを増してきたのだと思うのです。そのような事を考えれながらの今日のメッセージでした。