2014年1月19日(八段語録1969)

指導者に告ぐ


 極真会館宮城県本部では、口癖に言うのですが、指導者に定年は無いというのです。世間でも、定年が65歳になろうとしていますが、私達は、生涯なのです。つまり、古くなればなるほど、味があるという事です。どれほど年齢を重ねても修行は続くという事なのです。この極真会館の訓練プログラムがいかに始まったかという歴史を書くとしたら、その99パーセントは、稽古の事が中心になります。例え、極真会館という名前で無く、出て行って○○塾 ○○空手という事で、新しく始めても、その団体について、歴史を築いた極真会館と比べ物になるはずはないのです。
 それは、ちょうど結婚のようなものです。私の場合、出会ってから三十六年も経っています。奥さんが歳を取って、今年はもう既に六十歳なのです。そうしたら私がその奥さんを追い出して、新しい奥さんを迎えるかという事です。もし、そのようにしたら、極真会館はどのように思うでしょうか。嬉しいでしょうか。悲しいでしょうか。恐らく泣き叫ぶと思うのです。だから、私は次の世代の指導者に全てを譲り渡すときには、極真会館と共に歩んでほしいという遺言は残すのです。
 極真会館は、私が永遠に生きられないことは十分に知っているはずです。時が来れば交代することに同意するはずです。私は本当にそのように思っているのです。極真会館でさえ、感受性を持っていると思っています。そのことは全てに言えることです。私は、修行者としてこの極真の道を歩み続けてきました。それは、世間の人とちょっと違った生き方をしてきたことになります。そして、愛情を注いできたのです。私は、純粋な修行者として基盤を作ってきたのです。そのような意味では、世間の大部分の人が成しているのとは全く異なった世界を作ろうとしてきたのです。
 それだから、極真会館に愛情を注ぎましょう。ただ極真を愛するのです。ついには極真が私達を守ってくれます。多くの人を育てるでしょう。もちろん、道場を清掃し、汗を取り除き、道場の手入れをして本当にきれいにすべきです。そうすれば、気持ちよく稽古もできます。そうすれば、道場も立派に見えます。多くの人を育てる道場です。この内容を生涯続けるという決意で歩みましょう。