2014年1月19日(八段語録1968)

指導者に告ぐ


 指導者の皆さんは、私がこのグループの副会長として、また宮城県本部の代表師範として、一日中何をしていると思いますか。例えば、宮城県本部の各教室に意識をするのは、夕方からの三時時間あまりです。それ以外の時間を、私は何をしているのでしょうか。何もしないで、一日中ただじっと座って、家の中で寝ているだけなのでしょうか。午前中、午後と今は、国と県と市の仕事の為に、いつの間にか、九つの役職になって、それをこなしているのです。しかし、それは形の上で、それ以上に、私が一瞬、一瞬自分の全ての心を投入して、指導者の一人一人の事を思い、日々の成長と努力している姿を思い描き、見守っているというのが本音なのです。もちろん、家族の事は大切にするのです。
 人間は、実際に非常に敏感で、物事を知ることができる万物の霊長です。一日の運勢や、人の流れを、今どうなっているのかという事を経験から分かるようになっているのです。心の照準を、今責任を持っている手塚グループに心を向けなければならないのです。私も会長が心を砕いている様々な関連した現象を発見するのです。もちろん、指導者の中には、色々と課題を抱えている人もいます。報告も受けます。しかし、決して指導者の立場から降ろそうとはしないのです。というのも、いつも新鮮な言う事を聞くイエスマンのような人材を整えておこうとしないのです。もし、そうするとしたならば、いつも、人は変わり、人材定着しなくなるのです。かつて、その職場の人数は多いのですが、定着している人が少ない現場を見てきました。確かに新鮮な気はするのですが、人は育たないだろうというのが私の感想でした。つまり、使い捨てという言葉にぴったり当てはまります。
 ある意味で、競馬におけるダークホースのような存在が、ちょっと課題があるなと思える指導者なのです。それは、ほとんど起こりえないようなことですが、それが起こるのです。例えば、スタッフの中でも、捨ててしまいたくなるような、古い指導者が、何の影響も無いようにしているとします。他の新しい指導者が活躍しているのですが、肝心なポイントの時に古い指導者が、突然素晴らし活躍をする時があるのです。それをどう説明していいか分からない場合があるのです。そのような事が実際に起こりました。
 それだから、指導者同士、お互いに尊敬しなければなりません。どのような人達も大切にして、一瞬たりとも目の届かないところに置きたと思っても、その指導者に声をかけ、それを絶えず用いることが必要なのです。そのような心持、そのような愛情を持つことは、とても良いことです。この愛情や思いやりが、至る所で結合して、それが目に見えない方法で、ありえない事に結びつくのです。