2014年1月18日(八段語録1967)
指導者に告ぐ
ここで一つ重要な質問をしたいと思います。昨年、指導者の皆さんは何回、家庭や子供達、そして道場の責任者同士、心の争いも含めて行ってきたことでしょう。皆さんはもちろんそのような事は望まないでしょうが、時として、そのような状況に巻き込まれて、争いが起こることがあるでしょう。その時、皆さんはどうしますか。私の提言として、いかなる争いが起こることも、許してはならないという事です。生活をする中で、そのような状況を作り出すことを避けなければならないのです。
稽古をしているときに、そのような状況を、外に出して表現してはいけません。例え皆さんの心が燃えるようなことがあったとしても、それを顔に表してはいけません。稽古が終わったから、家に帰る途中、それをちょっと表すぐらいにしてください。時として、稽古は真剣勝負ですので、憤った感情で稽古をすると、大きな事故を起こすかもしれないのです。これは、非常に危険なことであり、そのようなときには自分の感情を出すことは非常に悪いという判断を私はするのです。家に帰ってから暖かい風呂に入って、良い食事をする方が余程良いのです。そうすれば、指導者の皆さんの心が寛大になり、皆さんを怒らせた、内容や言葉は忘れてしまうのです。
日常の生活や、特に稽古の時などは、決してつまらないことで心が引っ掛かることがあってはなりません。誰かがどんなに皆さんの心をかき乱すようなことが、そのような事や人は無視するのです。誰か隣の人の犬が、皆さんに向かって吠えているのだという具合に考えなさい。そんなことよりも、自分の目標を念頭に置くべきです。指導者の皆さんは、道場に争いを助長するために来たのではないのです。この道場で道を切り開くために来たのであり、極真空手を極めることが、目標のはずなのです。ここへ来た目的ではない、いかなるものにも巻き込まれてはいけません。
いつの日か、解決され、心を開いて、そのような事では何の結果も得られないという事もわかる時が来るのです。それよりも、道を求めるものとしての心得は、何か自分に欠如している事はないか、理解できないことや、適応できなかった部分が無いかを探してみるほうが良いのです。それが真剣に求道する者の姿というものです。修行していく中で、いつの日か私と同じ立場に皆さんは立っていくのです。もし、師範として独立して、道場生を育てるような立場に立ったならばどうするのでしょうか。誰が助けてくれるのでしょうか。おそらく誰も助けると思わない方がいいのです。自分が開拓するのです。それだから、今、真剣になって、自分で切り開くのです。それはとても良いことなのです。