2014年1月18日(八段語録1966)

指導者に告ぐ


 極真空手は、実践空手ですから、真剣に取り組まなければならない面を持っています。稽古をするときに、精神が集中されていない時には、極真空手そのものに負けてしまいます。というのも、皆さんが習っている極真空手は、世界中に旋風を起こしてきたのです。そして、その歴史は大山総裁の年齢程の年月を超えてきたのです。そのことを考えてみてください。そのような年月を経てくる途中、この極真空手は、どれほどの種類の危機を何度も超えてきたことでしょう。しかし、それを潜り抜けて、現在があるのです。
 極真空手そのものが、若者を確かな人材に育てていると知り尽くしているのです。こんな表現をすると、あべこべといわれそうですが、稽古することによって、どれだけの成果を出しているかという事は、もう既に実証されているのです。極真空手そのものの側からするならば、道場生が稽古をして、素晴らしい人材になることはお見通しという事です。道場生が、真剣に集中して、努力して、その技を一つ一つ獲得していく事は、一つのルートになっているという事なのです。道場生が、本当に集中して、真剣になれば、どのぐらいの期間で、どれほどの人物になるかという事は、もう私でもわかる範疇になっているのです。
 ある時、不思議にも、道場生が、心がどうしたのだろうかと不思議に思いはじめるときがあります。すると突然心の中に鋭いひらめきが起こるようにもなるのです。道場生は、「ああ、これ程の境地に到達したのか」という事を理解するのです。それを感じた後に試合にでも出たりして、一心不乱に専念すれば、突然の心の境地よりも、もっと多くの感動を試合に勝って、持つようになるのです。つまり、極真空手を修練していくうちに、何らかの法則、あるいは原則があるのです。もし、道場生が、すべての魂を投入していくとするならば、素晴らしい境地を開拓することができるのです。
 さらに、道場生を成長させる環境も十分整っているのです。私が地域社会にそうとう奉仕しています。すべてボランティアです。それは、地域の人が、回りまわって、道場生に連結されて、面倒見てくれるようになるからです。それを愛で結びつけようとする戦略なのです。もっと大事な事を道場では行っているのですそれは、清潔な道場、整理整頓さ荒れた環境を北山事務局長が築いています。それは道場生の清潔な精神を反映させます。秩序だった指導者による指導は、秩序だった精神を反映させます。つまり、環境と稽古内容で、あるべきところに整理整頓されているのです。道場生がおのずと、たくさんの心遣いを受けているのです。そのような意味では、道場生は自分の全ての心を、自分が成していることに投入するのです。そして、それゆえ、自分を律して、管理監督しなければならないのです。