2014年1月16日(八段語録1963)

指導者に告ぐ


 当然、教室ではもちろんの事、地域社会でも魅力的な指導者にならなければなりません。そして、なんとしても貢献できる人になるべきです。つまり与えることのできる豊富な内容を持ち合わせるべきだという事です。極真空手の指導は、父兄の皆さんの間でも、地域でも噂になっているのです。そして地域の人は、いつも皆さんを見つめ、どのように若者を指導するのかと興味を持っているのです。その地域に貢献するならば、歓迎するはずなのです。
 私達の指導は、菅野師範からくる組織的な指示から、的確に運営される段階に入ってきているのです。チームワークを重んじる組織として発展しようとしているのです。そこには、疑いがあってはならないのです。あらゆる状況で質問はすべきです。それよりも指導者の皆さんが道場生を指導しようとするならば、自分自身を訓練しなければならないのです。これが、極真空手の精神なのです。時として、指導者が、時間をルーズにして、道場生の父兄を怒らせたこともありました。指導者は、責任を持つ立場ですから、あらゆる詳細な点まで絶対に念を入れなければならないのです。
 指導者が自分の心に規律を与えることなくしては、地域の信頼を勝ち得ることはできないのです。教室における指導で科学的で組織化された取り組みをしなければならないのは当たり前のことなのです。教室の指導環境を最高の状態に管理し、一点の曇りも無いようにすべきなのです。さもなければ、指導者は危険な立場に陥ることになるのです。柔道界が悪しき反面教師のようになっています。婦女暴行は当たり前だったし、暴力事件や、不倫の温床になってしまったのです。指導者の公的使命は実に重要なのです。そして、そのレベルを維持しようとするならば、どこの団体の指導者と比較することなどできないのです。ひたすら、菅野師範からくる指示に従う事が、押忍の精神なのです。
 結局は、現場の指示に従わなければなりません。指導者の心の状態が全てを決定するのです。指導者はあらゆる誘惑から守られ、導かれるようにしなければならないのです。心を使い、思いやってください。指導者に中には時として奇妙な考え方をします。師範を必要としない考えが、結局は極真会館の範疇でなくてもよいというような考えに毒されているのです。もし、私達が、大山総裁を根にしなければ、正しい心の状態を保つことができなくなってしまうのです。もし、指導者の心に曇りがあるならば、道場生は清き感受性を持っているでしょうから、決して、その指導者のそばに来ないでしょう。そのような事を、気遣って、あらゆる段階の人達に、誠意を示すような指導者を目指しましょう。