2014年1月11日(八段語録1954)
指導者に告ぐ
あらゆる武道の中で、私が極真空手を何故選んだのかと考えることがあるのです。それで、直観的なのですが、一度極真空手を始めた時に、それが忘れられないという事を体験したからなのです。柔道だとか剣道だとか、いろいろ経験はしましたが、極真空手が強烈に脳裏に残ったのでした。だから、若者を引き付けるにはこれが最上の事であると確信したのでした。そして、私の残りの半生、極真の未来を継承していかなければならないと思うようになったのです。これが、今私の責任となっているのです。
一度、極真空手にはまると、絶対に忘れることはできないのです。極真会館での思い出の事となると鮮明に覚えていて、必ずそれにまつわるすべての事を思い出します。だから、極真会館での修練の日々と関連させておけば、あらゆる思い出は忘れることは無いのです。我々が大会に出場する時は「極真だ」と叫ばれます。そこで、優秀な成績を上げると、さすが極真と、聞こえてきます。それでも、万一一回戦で敗れるようなことになると、「何だと」言わせてしまって、期待を裏切ってしまいます。
そのような意味では、出場する大会では、「道を開け」と言わんばかりに、期待を裏切らない戦いをしなければならないという事になります。そこに誇りを感じてきたのかもしれません。そして、観客の脚光を浴び、尊敬を勝ち取ることになったのです。仮に、大会で極真以外の選手に負けたとします。家に帰った、テレビで大会の放映がされても、それを見ようとはしないのです。見たいとすら思わないのです。そのような経験はとても重要なのです。そうして、次には試合で勝つという気持ちで、心がいっぱいになるのです。次の試合の事を考えることなしに、他の事を考えられなくなるのです。
大会が終わったときは、「次の大会では、必ず勝つ」という気持ちになって、そのことで頭がいっぱいになります。そうすることによって、次の試合の為に生き、汗を流すような日々が続くのです。このような生活をして、日々を送っていると、事態が変わってきます。毎日すべての行動が特別なものになります。私は他の人がやっている事と同じことをやろうとは思わなくなるのです。それ以上の事を願うようになるのです。
そうなのです。私の気持ちが異なってくるのです。一生懸命稽古をして、汗をかき続けようとするのですから、一般の道場生は不思議に思うようになるのです。稽古も冗談を言ったり、道場で休んだりはしなくなるのです。他の道場生と違って、もっと真剣な人として変化していくのです。そして、誠実な心でもって稽古をし、真剣なものとしての歩みをするようになってきたのです。