2014年1月8日(八段語録1951)

指導者に告ぐ


 私は、道場生にやる気を起こさせる方法を絶えず考えるのです。現実には、極真の稽古は厳しいのです。私はどのように稽古をするのかを指導者の皆さんに示してきました。道場生は私のペースについて行こうとするのですが、二十代、三十代の若者でさえ、なかなか稽古についてこられなかったのです。ましてや組手をする頃には、へとへとになっているのです。理由は、いつも、今の道場生の為にやっているのではなく、次の世代の若者の為にやっているという気持ちを持っているのです。そしてこの伝統を何百年もの間、維持され、何百人という人たちがその伝統に基づいて稽古をすることができるように考えているのです。
 だから、結構厳しい稽古をしていると思っても、そんなに気にならなかったのです。その厳しい稽古に付いてきている女性の姿も多くみられるようになりました。この厳しい極真空手を女性たちが極めようとする時代に突入してきたのです。女性がこれだけ、厳しい稽古をしているのですから、男性は、逃げ出すわけにはいかなくなってきているのです。そのような道場に変身し始めているのは事実なのです。素晴らしいことなのです。女性は子供達の指導に対しても的確に指導します。それを見ている男性の指導者に火がつかないわけがないのです。
 それ故に、道場全体が向上していく事は目に見えているのです。私は仙台に帰って来てから、極真空手を指導する良い方法は、極真空手を実際に示すことであり、そして、もしこの伝統を受け継ぐ人が一人でもいれば、すべての人々が私の教えを理解することになるだろうと気が付きました。現在、そのような弟子を持っている私は幸福者のであるし、弟子たちも幸福であると、勝手に思っているのです。それだけの力を極真空手は持っているのです。私の幸福である気持ちは、弟子たちの稽古を見ると分かります。
 最近、ホームページに各教室の動画をアップし始めました。指導者の心が躍っているように見えて仕方がないのです。それは、良いことですか、悪いことですか。誰でも動画を見たならば、あのように成りたいと、外部の人が思うようになっているのです。びっくりしたのですが、昨日のアクセス件数が275件でした。私は、真実を語っているのですから、良いことだと思うのです。私達は、極真空手を学んでいます。他の流派から合同稽古を持ちかけられて、会長に尋ねたのですが、合同稽古をするならば、極真空手という名前を他流派も名乗らなければ、意味と、価値がないという話をしていました。
 そうなのです。私達が稽古をしているのは、大山総裁の伝統である極真空手何であって、誇りを持つべきことなのだと再認識したのでした。私は正真正銘、頭が良くないと思っていないのです。まともなので、他流派を名乗らず、極真会館であり続けているのです。その誇りを汚さないで欲しいというのが、会長の思いでありました。その事を、しっかり意識した指導者になってください。活用されるのは、極真空手の範囲内のだけという事です。その稽古で、全国に名を馳せたのですから、その伝統を守りましょう。歴史と伝統を打ち消してはならないのです。