2014年1月5日(八段語録1948)

指導者に告ぐ


 「中心と軸」の話をしたのですが、この観点は実に重要になってきます。その「中心と軸」とは一体何であるのかという事です。極真空手から推察すると「力」という答えが返ってきそうですが、そうでしょうか。お金ですか。極真会館の伝統として先輩から後輩に至るまで、すべての人々さえもつなぎ合わせるものは一体何でしょうか。まあ、極真会館の出発はどのように始まったのでしょうか。最初の出発点の創始者から始まったという事は間違いのないことです。結論として、大山総裁の「思い」から始まったという事になります。
 一人一人は、その総裁の「思い」の中に巻き込まれたことになります。つまり、大山総裁の「生命」の脈打っている所に来たことになります。そのような意味では、大山総裁の「思い」の参与者なのです。そのような意味では、大山総裁から絶対に離れることができないのです。これが自然の法則であり、絶対的なレベルなのです。分派していった人達はその点が欠如しているのでしょう。動物の世界であっても、この事はたくさんあります。両親でさえ、子供を守るために命を捧げて闘います。人間は全被造世界の尊厳を持っています。弟子は、師匠を持たなければならない存在です。弟子の生命は師匠から来ます。
 そのような意味では、もし総裁の事を理解しているならば、弟子たちに分裂は起こらないはずなのです。彼らは共に生き、共に死すべきです。極真会館から離れていくという事は、本当に存在していると言えないのです。単純な事なのですが、このような事を明確にしている人は誰もいないと言って過言でないのです。この「中心と軸」を失って何があるのでしょうか。この「中心と軸」を失うような人達は、家庭でさえ失ってしまうというのです。夫婦は崩れますか。それから親子は崩れますか。この家庭が「中心と軸」になるはずです。
 ところが、現代社会において、深刻で重大な問題が存在していることが分かるのです。それは、実に悲劇的です。日本の社会の家庭において、三分の一近くが分裂の苦しみを味わっているのです。すべての子供達は両親の愛情の下に生きたいと望んでいますが、この単純で基本的なこういうことが、彼らには否定されているのです。刑法にはありませんが、子供達を犠牲にするという罪を犯しているという事に他ならないのです。どうして夫婦が分かれることができるのでしょうか。愛を破壊し、子供達を迷子にしてしまいます。この悲劇に名前があるとしたら、それは「中心と軸の喪失」に他ならないのです。
 結論として、指導者は、このような事と正反対の基準を確立しなければならないのです。つまり、家庭に例えて話しましたが、夫婦の間に愛が芽生えたら、その愛を育て保存しなければならないのです。その愛情を高く評価しなければならないのです。その愛だけが生命の原動力となることができるのです。このような事を考えたならば、「中心と軸」が極真会館ではどんなものであるのかという事を推察することができるはずです。この「中心と軸」を持つ者のみが繁栄するのです。理由は、宇宙の公式だからなのです。この公式を無視するならば、ついには滅びます。