2014年1月3日(八段語録1946)

指導者に告ぐ


 私は,指導者の皆さんに特別なプログラムを用意してきたのです。指導者から道場生全員に対してなのです。極真会館の指導者としての資格を持つためには、そのプログラムをマスターしなければなりません。そのプログラムを終了しなければなりません。その為の昇級のシステムであります。けれども、それは単に外的な技術でしかありません。内的な世界がもっと重要であることは言うまでもありません。内的な精神武装と、指導理念を学習しなければなりません。だから少なくても道場での経験を味わう事は最低条件であることは言うまでもありません。
 という事は、道場での修練と、私が発表しているブログの中から、その指導理念をつぶさに学習すべきなのです。今まで私の四十数年の極真会館での経験の結実として表現しています。この内容は、武道精神において他の人々に教えたり、指導したりするための、虎の巻なのです。最近では、審査会で初めて私に出会うという道場生も現れ始めています。ところで、初期宮城県本部での私の稽古は、尋常でない稽古の連続でした。そうする中で道場生の焦点が合って来て、「方向を知る」という事を学んだのです。無我夢中の稽古の中で、自分で自分を頼るしかない中、私の稽古を羅針盤のようにして歩み続けてたどり着いたのです。
 ただ、一つのステアリングの指示に従うように、私の稽古に従って霧の中を進んできたのでした。多くの人々は、また同世代の間も、色々な方法で、方向性を探し求めてさまよったのです。しかし多くの人が、あらゆる試みをして、失敗して、あきらめの境地に立ってしまうのです。ところが、今日極真会館宮城県本部に通う多くの道場生は、極真空手という範囲に、より狭めることによって、自分の事がもっとわかるようになってきているのです。
 私の指導はどのようなものかというならば、方向性を知る前に、まず、自分たちの到着点と目的を知るべきということなのです。方向性について関心を持つ前に、自分の目的を知る必要があるのです。どのように生きるかについての結論を下す前に、まずなぜ生きるかについての結論を下さなければならないのです。この疑問は限りなく問われ続けてきました。偉大な先人さえ、それに答えることができないできているのです。
 結論として、ここにいる私も、道場生も普通の人間なのです。そこで、範囲を狭めてでも、到着点を見出そうとした私の努力の姿があるのです。それは、グループに中心思想である「家族」という事を大事にした生き方で、最終的に親になるというのが到着点なのです。これが、到着点であるし、目的にしているという事なのです。何だと思うかもしれませんが、家族を大切にする精神は手塚グループの真髄なのです。そのことをしっかり肝に銘じて、自分を鍛錬し、夫婦の愛を深め、子供を生み、育て、親になって、行く道を、人生と結論つけているのです。そんな簡単な事しか教えていないのかというかもしれませんが、実際に、「家庭」の道を歩むという事は至難の技なのです。その為の、精神訓練が道場にあるといっても過言ではないのです。