2011年8月7日(八段語録1401)

私と全国組織(71)武道必修化の時代に思う

 来年度から中学でも体育の授業で、男女とも「武道」が必修化され、柔道、剣道、相撲の三種目から選択されるようになったのです。残念ながら空手道は入らないのです。それにしても、本当に武道を必修にして、やれるのだろうかという疑問が湧いてくるのです。剣道の場合は、防具を身に付けるので、それほど危険ではないにしても、柔道となると、正しく授業がなされるどうかという事に関しては不確定なことになるのではないかと思うのです。柔道は、投げを伴います。当然受け身が必然的に必要になってくるのですが、受け身を習得するだけでも半年はかかってしまうのではないかと思うのです。まして、不意に投げられる「乱取」では、頭を打ったり、足を骨折したり、事故が相次ぐのではないかと思うのです。
さらに、相撲の場合は、本当にやろうとすると土俵を用意しなければならないのです。果たして、用意できる学校はどのぐらいあるのかという事を考えると難しい事にもなるのです。文科省は、生徒の選択というのですが、実際には柔道と剣道の選択になるようです。今の学校教育で、しっかりとした指導員を確保しなければならないでしょう。そうでなければ、父母は納得するはずもなく、不安に陥れるだけなのです。今の学校の教諭の中で、どれだけ武道に精通しているのでしょうか。はなはだ疑問です。
 何故ならば、武道は、私がこうして生きるという観点があるのです。悲しみも、苦痛も、闘争も盛り上がった感情が伴うのです。例えば、試合が近づくという事は、昔ならば生死を決することになるのです。より切実に、自分の生命まで惜しまずに、名誉のために責任と使命を完遂するのです。もちろん寝食を忘れて生きるような生活になるし、喜びをも忘れてもだえ苦しむのです。その延長の中に学校教育での武道教育という必修があるとするならば、形だけ学んだとしても、正しい伝統を継承していく事ではないのです。
 義務教育で武道教育がこのまま推し進められるとしたら、教育と武道の間に限りなく異なる内容が生まれるのです。武道に教育を乗じていこうとすることは、最適な環境と人材を投入しない限りうまくいくはずはないのです。単なる義務教育における必修選択は、私としての結論としては、害をもたらすと断言するのです。