2011年8月6日(八段語録1400)

私と全国組織(70)極真空手は独禁法に抵触

 誰も検討したことがないのでしょうが、私からすると、独禁法がなくとも、それを越える以上の占有的な立場にあるのが極真空手なのです。強烈なカリスマで一時代を築いてきた大山総裁の弟子という事で、無敵に近いほどの市場シェアを持つと思ってしまうのです。通常は市場経済が適応されるのですが、リーダー的地位にある極真会館は、総裁のカリスマ性だけが際立っているのです。これは、私だけの思い込みではなく、実践空手という分野を切り開いた極真会館だけが際立つのです。
 心身の練磨に関しては、人間としての本能として空手道は、原始的でもあり、肉体を用いて最も身近な鍛える道具になるのです。つまり、市場拡大に関しては人口に比例して無限大なのです。極真空手会員が世界に一千二百万人以上いることも納得してしまうのです。この市場を支配しているのが、会長の弟子にいるのですが、この団体はいかにも市場を支配するかのようにしているのですが、実は居眠りに襲われているのです。ある意味で、独占的な地位ともなれば自己満足に陥っているのです。世界を支配した感覚になり、自己改革の努力を失っているのです。もうすでにその兆候の中で生きているのです。
 そのような意味では、この団体は変化に対応することが難しくなっているのです。そしてこの団体の周囲を見るならば、支配的な独裁者への依存に対しては、抵抗が世界的に起きてくるのです。独裁者に対して、意のままになることを好まなくなっていくのです。分裂が起こり、あらゆる反逆の嵐が巻き起こってしまうのです。ヨーロッパに行って、気が付くことは、多くの国からアラン師範にジョイントしてくるのです。そしてサマーキャンプは、ジョイントしてくれた人たちでいっぱいになるのです。
 ところで、私たちのグループの主張することは、家族としての繋がりであり、独裁的市場の独占ではないのです。家族的な繋がりの中で、最高かつ最適な関係を築こうとするのです。独裁者のように、リスクを伴うような意思決定をするのではなく、絶えず多くの人たちと家族になり、調和を果たし、融合し最適化を目指すのです。
 このような最適な団体を目指すに至っては、平坦な道を通ってきたのではないのです。会長自らが弟子に反旗を翻され、いばらの道歩くかのように、苦痛を受ける連続的歩みをしてきたのでした。団体を維持ながらも、悲しみとかくやしたとか、怒りを感じながら、淡々と歩んできたのです。何故ならば、私たちは単なる組織拡大をテーマにしないのです。絶えず人の心を思いやるのです。人々のあらゆる心情圏に加担しながら歩んできたのです。
 私は、人の心の痛みを忘れたりはしないのです。そうでなければ、青少年の教育に携わることなど難しいのです。私を勝利の立場に立たせてくれたのも、振り返ってみるならば、そこには、大山総裁のならぬ大先生が存在していたからなのです。そのような意味で、この道は私が責任を背負っていく道であり、世界を指導する独占的道でありかつ最先端の道なのです。