2011年8月5日(八段語録1399)

私と全国組織(69)金森神社

 御祭神、天神社、学問の神、至誠の神、長寿の神、旅の神と由緒書と書かれているホームページを見つけたのです。事の次第はこうです。金森神社の御祭神、金森内膳貞利公(文亀元年一五〇一~天正十一年六月三日没 一五八二)は、美濃守護土岐八代当主成頼の孫として生まれ、幼少より学徳に優れ、薬学、国学をはじめ神仏の奥義をきわめ、世の人の幸を願い、生涯を領民と共に捧げられました。天文一三年(一五四四年)公は奥州領主葛西氏に招かれ、岩井郡に城を構えることになりました。金森城(高山館)です。神仏に敬意を身に付けていた公は、場内に持仏堂を建立し、天地自然を経典とし、自らのいのちの信仰を人間の至福の道として一生を捧げたのです。公の没後、葛西氏滅亡後、伊達藩に孫達は仕えるようになりました。一人は岩井郡の代官を務め、一人は慶長七年(一六〇二)仙台町割奉行として勤めました。公の御霊は金蔵寺の横に祭られました。
 これは、私の母方の先祖の系譜のようです。母方は、金森なのです。叔父さんは、最近まで仙台市の市会議員をしていたのでした。父方は、はっきりしていないのですが、金上の士族の子孫として生まれ、この系譜も調べてみたいと思うのですが、それなりの家系を重ねているように思うのです。父の実家は、多賀城市の近くの利府町にあるのです。そのような背景から生まれている私が何者なのかを考えてしまう時を持つのも悪くないと、時間を割いたりしているのです。自分の先祖が何であったかの探究も必要なのかというのが最近の心境です。やはり年齢を重ねると、不思議に興味はこのような系譜に行き当たるようです。
 ところで、私としても、先祖に負けないように、社会的に明確な使命を持たなければならないと思うのです。今何をしようとしているのか、なぜ存在しているのか、社会的使命を持った者としてのプログラムやプジェクトは当然のことながら、自らの極真会館という立場に焦点を当てなければならないと思うのです。もちろん何度も言うようですが、プログラムやプロジェクトはあくまでも手段なのです。一時的なものであり、しかも短命のもとして考えてしまうのです。
 今社会的な使命を果たすために、全国組織の確立という目標を掲げているのです。目標は、パーフェクトを求めようとはしないのですが、最適を目標としているのです。やがて実現可能であるところまで達成させようとするのです。何故ならば、目標を達成したといえる自分でありたいと思いたいからなのです。そして、決意したのは、三年で勝負したいという事でした。三年で達成できない目標をあるならば、何度努力しても無駄であろうし、間違っていると考えるべきなのです。これは、私の決死的な覚悟をもたらす内容であるのであり、社会的発想とはちょっと異質なのかもしれないのです。
 ここでの私の決意というのは、全国に愛情を注いでも深く広い世界を築きたいという事なのです。大いなる本然の意義を建てるためにも、新しく道場開いて、多くの道場生を育てたいのです。私と出会って、本来の道を見出す道場生も生まれ、社会に排出できるのではないかと思うのです。この道を歩もうと決意しているのです。もちろん、この三年間は死亡の結実は、より固くなるかもしれないのです。それは、道場生の人生を出来るだけ保護していこうとする私の人生に対する対決姿勢なのです。