2011年8月3日(八段語録1397)

私と全国組織(67)人口の変化がこれからの戦略のベース

 長町の武道館で夕方5時に教室を始めた。夏休みにも入って、時間の調整が出来るという事もあって、12名の道場生が待ち構えてくれていました。ヨーロッパからの帰宅についたばかりで、体調が思うようにはいかないのですが、練習メニューは、試合を想定した内容を組みました。応用練習のような位置づけで稽古が始まりました。久しぶりに、見る道場生もいました。本当に嬉しく感じたのです。
 極真会館の時代の流れを検討してみるのですが、日本においては、人口数、年齢構成、進学率、雇用、所得など、変化が著しいことに間違いはないのです。見誤らないようにしようと努力を重ねているのですが、私たちの時代は、十代から二十代の年齢集団が、極真会館を引っ張ったと思っているのです。人口の変化そのものでの予測は不可能であることは間違いないのですが、しかし、現実に影響をもたらすリードタイム世代だったと思うのです。
 そのため、時代の空気そのものが、青年を大量に参加させることが出来る極真会館だったのです。もちろん、青年は青年として行動したわけなのです。高度成長の時代を迎えていたという事もあって、この世代の青年たちが重心となっていたような気がするのです。もちろん、その中に私も存在していたのです。そして今を迎えているのです。
 ところが、今の時代になって、青年は青年であるのですが、今の青年たちが、時代の重心になって、いなくなった時代に入っているのです。すなわち、もはや、社会の空気や価値観とは関係のない単なる青年として行動だけでしかないように思えるのです。この観点は、今までの時代を過ごした私の感想のようなものですから、的確であると思えるかどうか私も不安な面もあります。
 しかし、私たちの青年時代は、国が課題であるならば、断固として糾弾して、学生運動にまで高まっていったのでした。そのエネルギーを今の青年に求めようとしても、それは、難しいのではないかと思うのです。つまり、今の青年に時代の重心を置くことはできないのです。人口の変化なのか、社会の成熟度がこのような重心の移動をさせているのかは、定かではないのです。
 このような状況を見誤らないようにするために、極真会館として、このグループをどのようにリードしていくかが大きな課題というわけなのです。今現実にリードしようとする人たちは、子育てをしようとする両親のような気がするのです。いつの時代も子育ては大変なことですが、特に少子高齢化といわれるこの時代は、両親の一人の子供に対する期待度は、大きくなっているのです。その点に高い信頼性を置いて、新しい運営を私達のグループでは模索しなければならないようです。