2011年7月27日(八段語録1390)

私と全国組織(60)アントワープへ


 清々しい朝がやってきました。冷夏のベルギーも心地よい晴れ間が広がってきたのです。予定していたアントワープへの訪問を、通訳を兼ねて親しくなっていた智子さんが同行してくださいました。今回で三回目のベルギーの名所訪問という事になります。一番初めの年は、首都ブルッセル、二年目は、ブルージュ、そして今年がアントワープという町なのです。アントワープは、勇者が巨人を倒して、その腕を放り投げた逸話のある町なのです。銅像がこの町の中央の広場に、あるのです。青銅色の像は、その物語を克明に伝えているのです。
 町を観光する馬車に乗ってみました。黒色のタキシードのような服で、女性の騎手が街を案内してくれるのです。馬車の視線からの街を闊歩すると、中世へ逆戻りしてしまうようです。不思議に、今まで訪れた街並みは、中央の広場から、中心に教会がそびえ立って、同じ造りのレンガ造りの建物が、四方を囲むようにあるのです。その中に、レストラン街が、街の趣に調和して、ベルギーの短い夏を楽しむように市民が繰り出しているのです。
 数納師範の、ベルギーに最初から願っていたノートルダム大聖堂のルーベンスの壁画を見に行きたいという願望が成就した場所に到着です。普通の教会は、入場料を払う事はないというのですが、この大聖堂は違っていました。その理由はいくつもあるのでしょうが、ルーベンスの壁画が世界的にあまりにも有名であるという事と、その壁画は、一度も教会から持ち出されて展示されたことがないという事なのです。
 もちろん、ルーベンス以外の画家も絵も、キリストの生誕から昇天まで、大きな壁画に収められているのです。特に、ルーベンスの絵は、三面鏡になっていて、ダイナミックであり、筋肉隆々と人物の表現がなされているのです。その絵を見入っていると、登場人物の中の一人に同化してしまうのです。
 17世紀に描かれた壁画は、その時代のキリストを支えようとし、人々の救済テーマにしているようです。キリストの教えだけではなく、自らの血で人々の心を贖罪する様子を表現しているのです。さらに、教会の礼拝堂の正面には、マリア様の昇天の様子も描かれているのです。ここまでも、キリストを生誕させた母を、生き生きと表現している壁画はないのではないかという印象さえ伺えます。
 ここでも、気が付いたことがあるのです。私が訪問したイスラエルでも、キリストの壁画が生き生きと2千年前に描かれているのです。そしてヨーロッパの大聖堂の中に同じように、17世紀頃の壁画が描かれているのです。時代の変遷はあれ、文明が移り変わろうと、キリストへの愛情は変わらないようです。その精神が、民族移動をしてきた、野蛮な現地人に、光明を与えたのであろうと思える理由が伺えるのです。
 要するに、ここに住み多くの人に、キリストが博愛としての、レベルの高い精神を伝えたという事なのでしょう。その一人に、ここに住んでいた人々が変身していったのであり、その心が教会の中に魂として生きているのです。私の心にも、壁画の人物の一人として伝わってくるのです。実に神聖な一日を過ごしたのでした。その意味でも、魂が清められたという実感をしてしまうのです。
 ところで、時間が経つのは早いもので、クリスチャン師範の運転で無事合宿所へ帰ってくることが出来ました。キリストの心が、自らの魂を癒すようでした。そこで、私たちのミッションも、教育になるわけですので、多くの青少年に、極真の魂を伝えなければならないという事なのです。教会を建てるわけではないのですが、道場拡大と共に魂の伝道師として広めていかなければならないという自覚をするのでした。