2011年7月25日(八段語録1387)

私と全国組織(57)私の家庭観


 アラン師範と近くのチャイニーズレストランへ夕食に向かいました。時差の関係で、体調がどうなっているのか、分からない状況ですが、食欲の方は十分にあるのです。しかし、ベルギーに来ているという事で、便秘になり、トイレでは、切れ痔でしょうか、お尻を拭くとペーパーに血が付着します。緊張しているのだと思うのです。今回は嫌われても会長とバトルを繰り返そうとしているようです。
 夕食では、家庭観が主張のズレとなりました。私の場合、厳格のようです。息子の結婚では、私がニューヨークへ飛んで、ご両親と話して、結婚の準備をしたという事なのです。息子の嫁の茂奈ちゃんは、我が家で二週間のホームスティ、次の年の二か月のホームスティ、そして、年を越して、今年の二月に入籍したという経緯なのです。その一番初めに取った私の行動は、ニューヨークでご両親と娘さんに出会うという事でした。とても素晴らしい家庭であると実感したのです。その次の年には、二週間のホームスティ、また次の年には、二か月のホームスティ、さらに次の年には、我が家族、母、妻、息子、私とアメリカに出かけて貰い受けに行ったのでした。今では、アメリカと日本の家族同士の架け橋という事なのです。
 次の娘の件の話になりました。順香の場合、私が長崎の知り合いに紹介された、○○さんとの家族の交流を始めたのです。そこで、私の目から素晴らしい息子さんでした。早速仙台に来てもらって、順香に会ってもらったのでした。しかしながら、娘は、今は結婚しようという意思がないという事が判明したのです。結婚という事に関して、未だ時ではないと感じているようでした。もちろん、気に入った人ではなかったという事も背景にはあったのです。
 そのような経緯もあったのです。やはりある意味で、親が干渉すべきことは、結婚であるという主張なのです。そこには、娘が気に入っても、家と家との関係がなければ、二人だけ良くても、何かあった時には、防波堤にもならないし、守ってあげる垣根にもならないのです。当然、親としてできることは、限界があると思うのですが、それでも、お互いの家族が仲良くなければならないという主張をしてしまいました。
 このような主張は、やはり、アラン師範の家でも起こっていたようです。息子さんの件、娘さんの宗教上の違いで、苦労している話が出たりしていたのです。私の発想も明確なのです。もちろん、そのことで、文誉が精神的な課題と壁に突き当たり、今も薬を飲みながら、精神的な回復を目指していることも事実なのです。私と妻は、娘の生活習慣と恋愛に関して否定したのです。それだけではなく、生活の指導をしたことで、精神的負担になったのでした。それでも、私は、自分の主張を変えようとはしないのです。
 会長は私の主張に対して、勝手にしろという表現で締め括ったのでした。それでも、意見を述べることは重要なことであると思うのです。自分はこう思うという事なのです。もちろん、会長の主張も聞きました。子供に任せるべきであるという表現ですが、今の時代ではその方が良いという判断にもなります。しかし親として、昔から古風な親の責任を抱くという事も必要なのではないかと感じるのでした。子供たちの運命は、私という親でどのように子供たちの生き方が変わるのかはわかりませんが、子供達に対しても、全力で愛情を投入したい自分の姿を見続けているのです。