2011年7月24日(八段語録1385)

私と全国組織(55)何故手塚グループの発展なのか


 このグループを世界まで広く拡大させようとすることが、私の役割という事になります。仙台だけで満足することの方がよっぽど楽であると思うのですが、天から受けた血が騒ぐのです。個人から家庭を収め、親戚を初めとする地域社会、大震災の地域を含めた東北、そして日本の責任を背負っていくと決めたからなのです。世界に関しては、アラン師範がITIBANNブランドの武道具をして、空手のみならず柔道、さらに格闘技に至るまで準備を重ねているのです。
 私の場合、当面は、日本の組織の拡充という事になるのです。また極真会館手塚グループについて、会長のお膝元を、どのようにデザインするかの課題にも、果敢に取り組まなければならないという事になるのです。もうこの年になって、デスクワークの時間を多く持たなければ、組織拡大の進捗状況がうまく進まないのです。あわてる必要はないのですが、日々の祈りの観点はここに集約されるのです。
 会長と調整すべきことは、今の会長の業務スタイルを尊重しなければならないという事です。まるっきり変化を求めた場合、会長からの抵抗は強くなるということは、想像がつくのです。最終的に、役員報酬としてサポートする構想は、全てが委ねられた時点からの出発という事になるとの予測なのです。
 今は、会長のデスクワークスタイルをサポートしながら、組織の規模にあった運営システムの確立という事になります。私の主張は、会員証、昇段、空手着に関しては、現状のままにして、昇級に関しては、人数区分に踏み込むことが必要であると考えます。というのも、一人の道場生に対しての人件費は、加算されていくのです。百人まで百%、二百人までからおよそ、百人ごとに、経費の増加と共に、可能な限り二十%の減というように、費用分の考慮がなければ、運営はできないのです。
 何故ならば、今までの極真会館システムは、師範以外は、ボランティアとして、人材の要請をしてきたのです。これからは、しっかりサポートしてくれる道場生に関しては、お礼の気持ちを、道場から伝える時代に突入しているのではないかという事なのです。つまり報酬が発生するわけなのです。修業の途中だから、無償で仕えるようにという事にはならないのです。
 ところで、今日午後から、ノートルダム大聖堂に行く予定でしたが、歩行者天国で、会長の歩行状態の事を考えると、疲労が重なるという判断で、取りやめにして、三人で話し合いの場にしたのです。数納師範からは、かなりテクニカルな作業を中心とした実務的な話がでました。会長からは、これからどのように運営していくべきかの課題を突き付けてくるのです。
 当然、宮城県本部に関しての課題についても相当議論したのです。菅野師範に関しては、私としては、絶大な信頼を置いていることを、繰り返し話しました。会長としては、会話の回数が少ないこともあって、不安な思いを持っているのですが、私の判断は、心中してでも一緒の道を歩み続けるという事の信念を伝えたのです。もちろん、十五年間の信頼関係は、一瞬に崩れる訳にはいかないのです。私がもし疑問を持つとしたら、菅野師範が離婚をするとか、家庭内暴力で家族が崩壊する以外にないという事を主張するだけなのです。