2011年7月24日(八段語録1384)

私と全国組織(54)ベルギーで会長にお願いすること


 極真空手を実践しようとする時に、このグループで問われるのが人柄です。いくらライオンや熊のように、身体能力に優れようとも、人としての生きざまを、しっかり演出できなければ意味を持たないのです。アラン師範の指導者たる内容は、家族が調和していることに、共鳴できるのです。妻との絆が深く、子煩悩の姿には、微笑ましく感じるのです。武道は道を示すのです。道としての人生を歩むことが、画期的なことであり、共感できるのです。
 昨日も、会長と今後の話をするのです。一つ指摘されたことは、私が代表という言葉を、あまり使わない方が良いという事でした。その理由は、手塚グループの会長とダブるからなのです。気が付かなかったので、すぐに訂正して、名前を何にすべきかを車の中で検討し始めたのです。何かしら、副会長という表現には、あまり好まないようです。
その理由はわかりませんが、私としては、教育者としての誇りがあるのです。そのような意味では、先生と呼ばれるのがありがたいのです。ちなみみ、私の慕っていた大先生という方がおられたのです。そのような呼び方をされるとするならば、大先生の影響を受け継ぐのではないかという自負心さえ湧いてくるのです。
それにしても、手塚グループとしての組織の定款を決めるべきであると思うのです。うやむやに、人の立つ位置を決めておかなければ、混乱が生じるし、まとまりがつかないのです。誰が責任者であり、誰に次の責任を任せようとしていくのかという方向性が見えなければ組織はいずれ、バラバラに分解してしまいます。むろん、会長の目からは、あらゆる願いや要求があると思うのですが、組織としてのしっかりとした確立をしなければ今後戦っていく事が出来ないのです。
私の場合、師範になって、10年も満たない時期に、次の責任者を菅野師範と決めたのです。もちろん相応しい内容は、これから身に着けていくにせよ、それにふさわしい人材として登用するのです。そうでなければ、次の事に手を打つことはできないのです。その人物が駄目であるから、変えてしまおうとすることも愚の骨頂ですし、最後まで任せていく事が、私の度量という事になるのです。
それでも、気を取り直して、手塚グループの定款を日本では、会長のそばに、会長補佐を置くという事で、表現すればよいことなのかもしれないのです。何も会長の気持ちを逆なでする必要なないのです。そのような意味では、どのように日本の組織拡大に貢献していこうとするのかを、試行錯誤する日々であります。つまり、会長に認定していただいた位置を大事にすべきであるという結論を持たざるを得ないのです。
どのような名前であろうとも、ナンバー2であることには変わらないのです。良き会長の相談相手にならなければならないし、これからの組織拡大の方針を会長と共有しなければならないのも私だからなのです。そのような意味では、会長と議論しなければならないし、気に食わない発言も、容赦なく浴びせなければならないのです。それが私の役割という事になるのです。