2011年7月20日(八段語録1380)

私と全国組織(50)10年ぶりに妻の実家に向かう


 台風が広島を直撃することなく、足摺岬から高知県の沿岸を東に逸れていきました。天候も回復しましたので、予定していた妻の千順さんの実家へ訪問をすることにしました。宮城師範に運転をお願いしました。10年ぶりの訪問です。以前は、家族で訪れたのです。子供たちも小さかったので、ディズニーランド、ユニバーサルワールドと東京と大阪の遊園地を回っての訪問でした。懐かしさが湧き上がってきます。
 千順さんの実家は、広島でも島根と県境にある高原です。スキー場が、何か所もある避暑地なのです。こんな山間に民家があるのかという所まで進んでいくと、高原の平地が広がるのです。広島市内は、台風一過で暑かったのですが、ここ八幡高原では雨が降っていて、気温も二十度に満たないのです。避暑地の意味も理解できるのです。
さて今回は、千順さんのお母さんに、心に抱いていた、プレゼントを持っていきました。先回訪問した時に、納屋に肩たたきがあったのです。それももうすぐ壊れる寸前まで使い古していました。もう十年も過ぎているので、肩たたきは無くなっているとの思いで、コジマ電気でマッサージチェアーを購入したのです。テレビの前に設置して、使い勝手が分かるように何度も試験運転しました。簡単なリモコン操作なので、直ぐに理解してもらいました。
千順さんのお母さんは、二年前に自転車で転んでしまい、手が骨折してしまったそうです。痛々しい傷跡を見せてもらいました。それから怖くて、自転車には乗れないそうです。その代り、電動四輪車で村の診療所へ出かけてリハビリに通っているという事でした。お母さんの心配性は、未だ健在です。自分の家族のこと、森家のこと、ちょっと何かあると眠れなくなるほどなのです。愛情の深さを感じてしまいます。
ところで、千順さんのお父さんが、この家を建てたというのです。家を建てて、安堵したところで、肺炎にかかり、亡くなってしまったということでした。その意味では、この家は、亡くなったお父さんが守り神になっているという事なのです。こじつけのようですが、大型台風も逸れていったのも、この家の守りがあるからと感じられたのです。
お母さんの顔を覗き込むと、少女のような純真な表情になるのです。妻のお姉さんのようです。年齢を重ねても、この八幡の高原のように汚れなく過ごしてきた日々を伺うことが出来るのです。
今回も言われてしまいました。娘を訪ねるのに仙台では遠すぎるというのです。広島市内だったらいつでも会うことが出来るのにと話します。申し訳なく思うのです。それでも、千順さんを幸せにしていますと、日々の生活の状況を話しました。娘が傍にいない寂しさと裏腹に、喜んではくれていました。
夕方近くなったので、挨拶をして岐路に着きました。広島市内に入ると高原の気候と打って変わって、蒸し暑さと日差しの強さで、うんざりします。それでも、ちょっとした親孝行ができたことに、心の荷を下ろすかのようにホテルに到着です。随分忙しさにかまけて、妻の実家とも疎遠になっていたのだという事を改めて悔い改めた次第でした。来月にもう一度訪問するからという事で、帰ってきたのでした。
私はふと、何のために生きてきたのかと振り返ってしまいました、家族と共に幸せに過ごすことにほかならないという結論は変わらないのです。しかも、広島の千順さんの実家も親戚であり、家族に他ならないのです。もう少し広い視野に立って、親戚をも含めて愛情を注ごうと思わせられたのです。
そのような意味でも、広島県本部という拠点は、重要な位置づけであり、私の氏族的観点からしても、なくてはならないのです。全国で先駆けて、宮城師範と出会ったことは、天の配慮があるからであると感じさせられたのです。