2011年7月15日(八段語録1375)

私と全国組織(45)親戚の援助をする母


 母を車に乗せて、○○家へ向かいました。親戚の借金を清算するための母親の行動でした。車の中の私の心は穏やかではありません。八十二歳になる母親に、私は、援助を見合わせたら良いのではないかという意見を述べるのです。何故ならば、その金額も半端ではないのです。家が一軒建ってしまうほどの金額になるのです。しかし、頑として聞かない母親なのです
 私の意見は、その親戚が、遊興費に使って、財産を差し押さえられるような状況になったから、自業自得であるという主張なのです。それに対して、母親は、弟にあたる人物に対して、幼いころ牛を飼って、毎日世話をして、学校にも行くことが出来なかったのだと話すのです。更にかわいそうな生き方しかできなかったと、私を説得するのです。
 しかしながら私にとっては、数週間前、親父とその親戚の家へ伺った時に、お金を融通しない親父と私に対して、怒っている様子での対応したのが頭に残っているのです。残念ながら、私と親父の気持ちも良くないのです。その事を母親に伝えるのですが、親戚である弟は、勉強もしてこなかったし、常識に欠けるところもあると、私と父親の意見を一蹴してしまうのでした。
 結局、二束三文にもならない田圃と引き換えという事で、融通してしまったのでした。私も、農家でもないし、農機具も揃ってないので、途方に暮れるのですが、その親戚の提案で収穫まで全て農作業に関しては手伝うという事になったのでした。
 今の時代、環境からするならば、預金をして、いざとなったら役に立つ方が良いのではないかというのが現実的であろうと考えるのですが、母親の考え方はまるっきり違っているのです。親戚で一番苦しんでいて、どうしようもない時に頼ってきてくれたのだから、それに答えなければ天罰が来るというのです。さらに、母親は付け加えます。東日本大震災で、家族の生命や家土地を失ったと思えば、何でもないことだと話すのです。そして、親戚に感謝されるのであれば、本望だとも話すのです。
 母親は、私を育てるときは、厳しい姿勢で臨んでいました。小学校高学年にもなると、新聞配達をさせられるのです。小遣いも一円たりとも貰えないのです。ズボンも穴が開いても継当てしてでも着古すのです。決して無駄なお金を使うこともなく、学費も限界ぎりぎりまで支払わなかったのです。もちろん、母親が贅沢している様子など全くないのです。貧乏人と言われる人たちよりも、貧しく過ごしたような気がするのです。子供たちに対してお金の大切さを生活で教えてくれたのでした。
 その母親は、人助けとなると、事あるごとに、貯めていた財産など無かったように全て排出してきたのでした。その原点として話す内容は、裸一貫で親父と所帯を持った時に、60年前の当時のお金で5万円を融通して家土地を購入してくれた金森家の兄がいるというのです。そして、その兄は、母からなんか一銭たりとも返して貰おうとは思わないと話したというのです。
 その時に母は兄に対して、どれほど感謝したのか分からないというのです。その感謝の気持ちが忘れられないから、他人に何かあった時には、すべて投げ打って助けたくなるのだと話すのです。今までの母親の生活は、地味で質素で、飾らない生き方をしてきました。そして、ここぞという時には、全財産投入してしまうのです。おかげさまで、私たち兄弟三人も大学まで卒業させてもらいました。長男の私は、遅ればせながら大学院までも終了させてもらったのです。母親の為に生きる精神は、私の心に焼き付いて離れることはないと思うのです。