2011年7月13日(八段語録1373)

私と全国組織(43)先入観でこれからの方針を決めるな


 今までの極真会館の先入観念は、地上最強の空手であります。私もこのような気持ちで四〇年間の長い間、わき目も振らず歩んできた事になるのです。故郷に帰ってきて、師範代として道場の運営に携って、数年歩むうちに、予期せぬ事に突き当たったのでした。
 それは、他流派の北峰会の大会の参加でした。私達の道場の生徒は、一回戦でほとんど敗退していくのです。一般では強い極真でありましたが、子供達の試合となると、まるっきり他流派に刃が立たないのです。もちろん、北峰会のルールは他でもない国際空手道連盟という事で、私達と一緒なのです。
 それから数年の間、屈辱をなめながら、勝てない少年部の道場生を責める事も無く、淡々と道場運営していたのです。その背景には、私達は、一般は強いのが極真であるという自負があったのでした。
 ところが、師範として道場を構えた頃、意識をしていないところで、少年部の道場生の父兄が、盛り上がって、子供たちを道場以外の自宅で修練し始めたのでした。予期せぬことでした。私としては余り関心を持っていませんでしたので、なすがままに任せておいたのです。つまり、少年部に関しては、苦労が少ない指導者として私が存在したことになるのです。
 そうしている内に、盛り上がった父兄達のメンバーが、北峰会の大会に優勝し始めたのです。更に、東北の各地の大会でも優秀な成績を、思いもよらぬ人達が勝つようになったのでした。私は、予期せぬ勝利に、ほとんど関心を持たないばかりか、無視するぐらいの内容でしか指導していなかったのです。何故ならば、特定の少年部の道場生だけだったからなのです。それ故に、当然のことながら、例え優勝しても何も評価をする事も無く、道場運営に当っていたのでした。
 それもそのはず、極真会館の伝統が長きに渡って、地上最強の空手として一般部での勝利こそが大事であり、少年部は過渡的な登竜門的なものでしかないという概念があったのでした。また、このような概念が永久に続くものとして捉えていたのでした。
 当然のことながら、優秀な選手達が、他の流派のヘットハンテングに引っ掛かって、言葉巧みに引き抜かれてしまったり、道場の指導内容に不満を漏らして、他流派に転向したり、大変な一時期があったのでした。
 そこで、重要な判断に迫られました。これからの道場の運営で、かつての極真に拘ることなく、柔軟な姿勢が問われる事となったのでした。父兄の意見を聞いて改革するのか、それとも、師範代の意見を聞いて改革に乗り出すかという事だったのです。
 私の改革の道は、今までの伝統にこだわることなく、師範代に委ねるという選択でした。もし、流れに流されていたならば、父兄の意見を重視したかも知れないのです。しかし、今までの私の概念ではなく、ましてや父兄の意見でもなく、これからの進むべき道は、師範代の提案を受け入れる事だったのでした。もし、私が昔の極真だけに拘っていたならば、今までの伝統こそが唯一の道であり、その他のいかなるものもごまかしに過ぎないとして、誰のいう事も聞かなかったと思うのです。師範代に任せるという決断は、今になって、どこの大会でも優勝者を排出するのです。更に、武道教育を徹底しているのです。それは道場生だけではなく、父兄の皆さんまで及ぶのです。私の先入観を捨てたところからの展開でした。