2011年7月12日(八段語録1372)

私と全国組織(42)女神の口づけを願うな


 道場運営で一番気をつけなければならないことは、バラ色に輝く女神の誘惑です。週刊誌を騒がせているのが、群馬県知事の知事官邸に女性を連れ込んだという事でした。それが、発覚して事実を認めています。辞任は否定していますが、政治生命はすでに喪失しているのです。
 政治的な手腕を発揮して、今まで活躍してきた業績が、今回の事で全てを失うのです。人間の欲求は認めますが、人生というレールをひたすらに歩み続ける中で、突如現れた角度の違う壁が、まさに女神なのです。女神を窓から眺めると景色が素晴らしく見えるのです。自分の家庭の窓と重なるとき、課題を背負っているときには、誘惑に駆られるのも無理がないのです。
 しかしながら、部屋の中央から見ると、女神がいる隣の窓は、幻想なのです。人生の中で予期せぬことが起こります。すなわち、予期せぬ成功もありますが、予期せぬ誘惑も必ずあるのです。
 現実にあるものは、私たちの家庭なのです。しかし、かくあるべきではないかと言う、ささやきがあるのです。そのギャップの中で、女神の誘惑は見事に的中してしまうのです。そして自らのエゴイステックな心の欲求は、環境とニーズを発生させるわけなのです。
 特に、道場のような組織の長として崇められたり、尊敬されたりする場合に起こりがちなのです。指導者と女神の中で、道場という各位を重んじて尊敬せざるを得ない環境がニーズを引き出すのです。それが構造的な欠陥ともなりますが、この状況を超えていくには、主体として存在する指導者の自制力がとりただされるのです。
 道場には多くの人がより集うようになります。要するに、人を中心とした外部環境が変化することになるのです。そして、指導者が、ご両親であり、女性の道場生であるというところから、認識の変化をもたらすようになるのです。すなわち、ものの見方、感じ方、意味の変化が訪れるのです。そして結果として「女神の口づけ」にハマっていくのです。家庭を持った指導者に恋愛として片づけることはできないのです。
 今日表現していることは、群馬県知事の話だけではないのです。組織を持ったものとしての陥りやすいブラックホールなのです。どの組織でも起こっているし、人間としての人生を踏み外す、迷路への入り口なのです。私の戦いは、このブラックホールを回避する歩みでした。それゆえ、私の家庭は崩壊の道を免れているといって過言でないのです。私の自制心は、妻へのプレゼントであり、子供たちへの財産なのです。
 このグループの最大の特徴は、会長を初めて、指導者の家庭を守るという精神によって築かれています。それゆえ、次の指導者にも、このことは、口をすっぱくして話し続けました。そして誕生していくのが、本物の指導者という確信を持っているのです。