2011年7月8日(八段語録1368)

私と全国組織(38)私の立場

 私がこのグループに存在する理由を検討してみました。そこで、結論はというならば、ほかの団体にできないこと、あるいは他の団体にとってはお粗末なことを、価値ある内容に仕上げ、容易に行うことによって、私の存在理由が生まれてくるのではないかと、漠然とですが、思考の中に残ったのです。
 すなわち、この道場に存在して執行部や指導者が誇りを持って、在籍出来る環境を作っていくことが必要であるのです。それには、道場生の価値追求欲と一致する高い極真空手の未来に通じる戦略を私が備えるべきであると思うのです。
 その一つの例が、今までの他道場は、自分の名前を付けて、師範個人を道場の代名詞にして、個人としての道場運営が普通だったのですが、私たちの道場は、執行部を中心としたスタッフが運営するという、一般に開かれた道場運営に踏み切ったのです。名前も、パブリックにこだわるのです。それによって、システムとしての教育が始まったわけです。この能力は、全員が一丸となって、一人の道場生を育てるという観点になったわけなのです。
 しかし、このシステムを完成させるには、極真の伝統を極めた有能なスタッフの調和が必要になってくるのです。当然、この執行部が行っている能力を信頼し、いかに識別するかということなのですが、はっきり、全権を委ねなければ見えてこないのです。そこで見えてきた能力の強みや弱点を知るようになるのです。そこで、最終的に、それらの能力が適切であるのか、変える必要があるのかは、最終的に私の判断ということになるのです。
 その為に、執行部の活動能力をフォローしていくのです。そうする中で、私が考えもしない予期せぬ成功事例を見つけるに至るのです。もちろん、失敗は当然つきものです。それでも、成功事例を高く評価して、喜んで追認するのも私の役割なのです。
 それは、私がリーダーとして地位を得るために必要なことになるわけです。他方、失敗に関しては、時代の流れの変化、あるいは、能力の伸び悩みといろいろ原因はあると思うのですが、見なかったことにし、忘れてしまうのです。なぜならば、私以上に執行部は、検討を重ねていということを自覚しているからなのです。そのことも当然、リーダーとしての地位を得るために必要なことだと考えているのです。
 今日は、いつになく肩の調子が良いのです。相当動かしても痛みが走らないのです。治ったのかなという錯覚に陥ってしまうのですが、やはり、そのような状態はいつまでも続かなかったのです。少しずつ、腫れや痛みが増してきます。それでも、修練ですので続けざるを得ないと自分を追いこむのです。