2011年7月6日(八段語録1366)

私と全国組織(36)このグループの最大の能力は何か

 この道場の理念をいうことは極めて簡単なことなのですが、それを成就しようと修練し訓練する歩みは、険しい道があるのです。途中で、本当の意味が分からずに去っていく人たちも多いのです。私からするならば、道場生がどのように育っていくのかを、いつも心に抱いていくということは、忍耐を重ねる父母の愛に似ているのです。何故ならば厳しい道が極真空手道にはあるのです。
 この道場の理念を公にして分析するならば、どこの団体でも言っていることと同じではないかと思うのです。そして、空手道を指導するわけですので、技術とか形が出来ればいいのではないかと、思われがちなことも事実です。つまり、空手道というカテゴリーの中で一般論が、まかり通るようになるわけです。
 これでは、生命を掛けて指導をしようとは思わないのです。したがって、私たちの道場の理念を伝統とか、行動にしなければ意味がないのです。それゆえ、私たちの理念はある特有の内容に関しては、繰り返し実践することによって、やがては容易に受け継がれることになるという信念を持っているのです。
 それだけに、公に理念にしている意味は大きいし、責任は重いのです。この理念の頂点に私が存在しているということは、どれだけ引き締まる思いがするのか見当つかないと思えるのです。そのようなことを、自分の中で考えていくとするならば、自らを客観的に、徹底的にかつ前向きに公の理念というものを、見つめなければならないことになるのです。
 ところで、私たちの道場は、オールマイティに全てに渡って卓越することは、まず無理なことだと考えています。しかし、一つの分野で、優れていこうとする試みは許されるし、またできるのです。私たちの道場は、この一つの卓越性に重点を置いて成功しようとするのです。多くの空手道場と比べることが出来ない、並み以上内容が潜んでいるはずなのです。
 確かに、最近行われた大会では優秀な成績を上げているのです。追う立場ではなく、追われる立場にいるのが、この道場であるし、東北という狭い地域で勝利の版図を広げるのではなく、国際空手道連盟のルールに、則る限り全国レベルで戦いに臨もうと決意もするのです。
 振り返ってみても、結果として、卓越性に関しては、創始者である大山総裁が、実践空手という分野を切り開いてくれました。四〇年の歳月私も付き従ってきたのです。この従って歩んだ道のりは、決して平坦な道ではなかったし、全日本の大会ともなれば、恐怖心が先立つ、武士の心境にもなります。そして、今、このグループを率いる先兵としての誇りに、信念を抱いて歩んでいこうとするのです。
 今日の稽古が終わって、感じることは、私自身の価値観が全ての道場生に影響を及ぼすということなのです。何気なく書くブログにしても、もう少し振り返ってみる必要もあるのではないかと反省するのです。