2011年7月2日(八段語録1362)

私と全国組織(32)時代の変化に対応した組織

 玉ねぎの収穫をする時期になりました。苗から植えた玉ねぎが、大きな球を作っていました。市場に出ているよりも倍以上大きいのです。収穫し納屋に運んでから、紐を短く切り、茎の部分を結わえて、二つ球にして、軒下越しにつるすのです。収穫したままですと、水分を含んで、腐ってしまうからです。
 このような作業をするのですが、時間があっという間に過ぎてしまい、気が付けば夜の八時を回っていました。地味な内職みたいな仕事を重ねて、没頭している内に、夜になってしまったわけです。それでも、玉ねぎが軒下にぶら下がっている光景は、なんとも、昔の母の実家に帰ったような心地でした。
 今日も振り返ってみるならば、朝のチラシの配布がありました。渡辺先生の辻立ちの手伝いがありました。親父を老人ホームの水泉荘への送りがありました。空手道への追求のためのトレーニングがありました。その後に農作業をするので、身体がいくらあっても足らないという気持ちになるのです。
 ところで、10年という年月を指導者として、歩んでみたわけですが、富士山を上る一合目を過ぎたぐらいの状況ではないかと思うのです。まだまだやらなければならないことがあまりにも多すぎます。チャレンジしたいことも生まれるのです。様々な環境を乗り越えて、現実をクリアしていくことは実に大変です。多くスタッフの助けがなければ、前に進まないということを実感してしまいます。 
 このような極真会館という空手道の責任者を10年間過せたということは、定義としては、道場の環境を整えることが出来たということになるのです。また社会的に貢献できる道を追求したということにもなるのです。更に中核能力を担うスタッフが、それぞれ現実に適応した状況が生まれたということでもあるのです。
 この空手道の出発は、ご存じのとおり、大山総裁が出発点になっております。喧嘩空手の異名をとる極真会館は、ついに二代目に入っているのです。それゆえ、名乗りを上げているのが、このグループであるということは間違いないのです。空手道の武道改革の担い手になるべく一歩踏み出した訳なのです。青少年の教育に実に効果的に影響を及ぼすばかりでなく、多くの道場生を排出するに至っているのです。
 それも、武道団体としては、前例のない中核的能力が備わっているわけなのです。10年を過ぎてみて、次の一歩を踏み出したという気持ちなのです。それは、道場の事をよくしているのは、次の世代の指導者であるということに着眼したことなのです。私の構想や設計を開発行い、スムーズに道場運営を任せるのは、次の世代であるという作業を行ったのです。もうすでに、私は、現場の指導者の下請けになっているのです。それでも、未来を考えるならば充実するのです。この作業をするのに、私は、10年の歳月を要したということなのです。