2011年7月1日(八段語録1361)

私と全国組織(31)実践空手という明確な定義で作戦

 10年の歳月を超えての道場維持に感無量というところがあります。中心軸を極真空手という大山総裁から始まったフルコンタクトを尊重し、正当な継承者とならんことを願っての戦いをし続けてきたという印象なのです。今までの極真での歩みを振り返ってみるならば、直接大山総裁から指導を受けた期間は、黒帯を締めてからの四年間でした。
 確かに、その威力はありました。全日本に参加する中で、様々な指導を受けたことになるのです。第一に本部道場を取り巻く環境にありました。本部で学んだ技術は、実践の奥義の中の奥義でした。そして、先輩からの指導は、エキスの中のエキスということになるのです。まさに大会で勝つためのあらゆる方策が凝縮されていたという実感なのです。そして、本部は社会から隔離されている状態で、誰でもあのような修練をしたならば、勝つことができる伝統の相続ができるという、虎の穴状態ということになるのです。
 第二に、本部では、大山総裁の私たちに対する使命を語り続けられたのです。この言葉が極真会館という組織の使命を明確にする方向性であったのです。社会や武道界に対して、何を貢献するつもりなのかを、毎日のように話しておられました。それが、私の指針になり力の源泉になったのでした。大山総裁から発する言葉は力強いものがあったのです。
 第三に、極真会館の役割を達成するうえで、必要な中枢的能力を本部には集結していたのです。これは、本部が全国の支部にリーダーシップを取っていく上で、抜きん出ていたのではないかと考えるのです。環境とは素晴らしいもので、本部にいると、我ならぬ我になっていくものでした。つまり極真戦士になれたのでした。
 ところで、大山総裁の偉大なところは、実践空手から絶対に離れることがなかったのです。つまり、明確な方向性を持っていたということなのです。その時に一時的感情に走ることなく、明確でシンプルな喧嘩空手に徹したのでした。ここまで極真空手が成果を収めたのは、まさにこのような単純かつ明確な方向性を持っていたからだと思うのです。
 しかしながら,今の分裂した極真会館には、今までのスーパースターだった頃の面影もなくなっているのです。つまずいた偶像という印象は免れないのです。その偶像を本物にするための活動が立ち上がってもよいのではないかと考えるのです。あらゆる検討を加えながら、今まで以上の成果を上げるべく努力していこうと考えるのです。
 そのために、今後絶対にぶれない方針が願われるであろうし、しっかりした定義を打ち立てていくべきであろうと考えるのです。