2011年6月30日(八段語録1360)

私と全国組織(30)保護司活動を踏まえての歩み

 2000年に入って、私は法務省の管轄で、保護司活動に入るようになったのです。刑務所や少年院・鑑別所に入った人たちを中心に、社会復帰するための手助けをするようになったのです。保護司になった要因は、両親が地域の人と調和しながら生活してきたことに起因するのです。親の七光りゆえの、公務推薦でした。
 さて今まで多かった事例は、仮釈放されて、社会復帰をするまでの過程を対象者に指導することでした。私の保護観察下に置かれた人たちは、もうすでに多数になっているのです。今までの私の経験ですが、刑務所に入所すると、約半数近くが再犯常習者になってしまうのです。正義感に燃えていた私は、何とか社会復帰できるように、カウンセリングプログラムを考案しながら対処したのでした。
 保護司が一例になってしまうのですが、保護司法を読むまでもなく、社会的篤志家が非常勤の公務員としてボランティア公務に当たるわけなのです。社会的に模範となるように経験を積んできた諸先輩達ということなので、費用を少なくし、効率的に社会復帰させるのです。
 私は、いろいろな活動をする中で、運営の手法を学んだような気がするのです。ひょっとすると、それは力を抜いているだけのことではないかと、蔑む人もいるかもしれませんが、営利を目的としてマネジメントしていないのです。未だに、営利と無縁であることを誇りとしているのです。活動は、保護司だけではないのです。今数えても、国と県と市の公務があるのです。
 それだけに、補佐する菅野師範は、収支という基準を失いかけている私に警告を発し、しっかりとした会計管理体制を引いているのです。それは、これから長い期間に渡って青少年教育活動を繰り広げていくうえでの必要不可欠な内容と知ってサポートしてくれるわけなのです。
 私の信念は、善を成す為なのです。その善を継続させるために、良き意図を持って対処してくださっているのです。そして、会計サイドだけでなく、今は、組織、リーダーシップ、責任、成果と、あらゆる方面で基盤となる礎を築いているのです。
 もう今月も最後の日となりました。考えてみれば、宮城県本部を立ち上げてから、もうすでに10年の歳月が今日で終了なのです。明日は11年目ということになるのです。ちょっと感傷的になってしまいます。それだけに激動の10年ということなのです。そして、新たなる責任ある師範を立てて、「押しても押されぬ」極真会館となっているのです。